道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2017年5月31日
道の記(イヌノフグリ)
在来イヌノフグリの季節が終わりつつある。毎年株の数や花の数をカウントしている場所でも、株が枯れきった。今季は株数が少なく、大きく生長することもなかったけれど、それぞれの株がいくらか種子を残していっただろうと思う。秋にはこどもたちや後発組のきょうだいたちが芽吹くことだろう。
茎がからからにしなびて葉もほとんどわからなくなって、種子をおさめて丸々していたさやだけが茎にわずかにとどまって、地面に横たわっている。双葉だったり本葉が2枚だったりの頃から見てきた株。おつかれさまと声を掛けて今季最後の記録を終えた。
道の記
ナガミヒナゲシやノミノツヅリやスズメノカタビラが舗装のひとつの隙間から出ていたのがまとめて抜かれていた…と書いた場所、(ノミノツヅリではなく)ツメクサが茎1本残っていた。そのツメクサも枯れかかっている。ちらっと緑が見えたので覗き込むと、コニシキソウの若葉が数枚見えた。
(2017年5月27日)
残っていたのはたしかノミノツヅリだったはずなので、もう一度よく見てみた。ツメクサとコニシキソウのほか、ノミノツヅリの枝が残っていた。すっかり枯れきっていた。見過ごしたのは申し訳ないことだった。
(2017年5月29日)
枝でなくて茎だと書いた後で思ったけれど、書くときに思ったのが枝だったのでそのままにする。
2017年5月28日
道の記
地中に残った根からたぶん3度目になる芽を出していた…とこのあいだ書いた工事予定地の柿の木、草刈りが入ったようで芽が切られていた。この時期なのでまたじき芽を出すだろうと思う。ノゲシの群生はそのままにされていて、どの株も白っぽくなって綿毛を空に差し上げていた。
セイヨウタンポポ、オヒシバ、スズメノカタビラ…と場所の主が変わってきた電柱ふもとの隙間、スズメノカタビラが枯れた後に今度はタチイヌノフグリが出ていた。そのタチイヌノフグリも枯れてきた。スズメノカタビラの茎も地面に貼り付いて残っていて、ふたつの草が小さな場所を枯色に染めている。
少し離れた位置に出てきたセイヨウタンポポは小さく育っている。いまもあおい。
2017年5月27日
2017年5月23日
道の記(番外・飯田屋敷跡のイチョウ)
「復興見守るイチョウ 福岡市の覚兵衛屋敷跡に移植 | 2017/05/22 - 熊本日日新聞 http://dlvr.it/PCHLhM 」
(上の記事について)福岡市の屋敷跡に移植というか、記事本文にあるように江戸期にここのお屋敷に移植されてそれからずっとここにいるという意味。お屋敷がいつなくなったかは私はよく知らない。建物としてはビルしか記憶にない。その敷地の角に近いところにこのイチョウの木がいる。
つい先日もここを通った。以前は大きな木だった。ずいぶん小さくなってしまった…と思いながら通った。幹をなかほどで切断し、中の空洞と周囲とに自分の実から育った苗を植え込んで、もとの木を内外から挟んで包み込むという方法で保護をはかっている(と理解している)。
色変わりの頃、実の頃、さまざまの頃合いに木を見上げて通る人も多かった。もとの木の残っている部分は元気で、今年もしっかりと葉を広げている。
2017年5月22日
道の記
だいぶ前に、施設が移転したあと敷地内の解体工事が始まり、外周部の木々が伐られてエノキが1本残されていたことを書いたように覚えている。その敷地が整地されていた。新しく入れられた砂が地面を覆っていた。エノキもまったく見えなかった。
エノキから声を掛けられたような気がした。立ち止まって少しのあいだ言葉を交わした。白い砂の地面のどこか向こう側にエノキがいまも立っているかのように思った。景色を目にとどめて立ち去ろうとして、自分のすぐそば、歩道の隅からエノキの幼木が出ているのに気がついた。あおあおとしていた。
街路樹イチョウの切り株の空洞から今年も芽が出ていたのだったが、新しい木に取り替えられていた。木に添えられた工事関係の表示だと思う小さな札に、第1号と印字してあった。
電柱のふもとから一昨年昨年と朝顔が出ていた場所、まだ出ていないように見えたけれども、しゃがんでよく見たら小さな葉が開いていた。今年はどのくらい育つだろう。
2017年5月21日
道の記(「散歩」翌日)
きのうの「散歩」で通った場所で、下見のときにすでに草が枯れかかっていた場所があり、同行くださった方々とそこに差し掛かったときに「草が枯れてしまっているんですけどね」と話をしたのだが、そのときに私は半分笑っていた。自分でもよくわからないが、たぶん「笑ってごまかした」のだと思う。
今日あやまりに行った。きのうまだ枯れながらもそこにいた草(チチコグサモドキやウラジロチチコグサ)は、今朝清掃が入ったのか取り払われていて、敷地の外に落ち葉や草を詰めたビニール袋がたくさん置いてあった。そのビニール袋に頭を下げた。
数本のチチコグサモドキとウラジロチチコグサが残っていた。もう何も思うことができず、頭を下げて失礼をした。
2017年5月20日
道の記
コンクリート舗装の割れ目から桜の木が膝丈ぐらいまで伸び出ていた。割れ目というよりむしろ割って出てきたように見えた。咲き始めたら広く知られるようになるかもしれない。いまはひとえにあおあおとしている。
割って出てくるまでのことを少し考える。
2017年5月19日
道の記
小さな公園の伐られたクスノキもひこばえがたくさん出ていたのだけれど、そのひこばえがそのまま高く生長して、ひとつの小さな森のようになっていた。ちょうど1本の木の樹冠のようにも見えた。もとのかたちからは変わっても、ふたたび「木」になろうとしている。
まちかどの自動販売機とその後ろの壁との間から柿の木が伸び出していた。どうやって生えたのだろうと思いながらちょっと見回すと、向こうのほうのお家に大きな柿の木らしき木が見えた。間柄はわからない。こちらはこちらでいくつかの花を咲かせていた。
ラベル:
カキノキ,
クスノキ,
ひこばえ,
小公園の伐り株クスノキ
2017年5月16日
道の記
唐実桜はがんばっていた。切り株がたくさんのひこばえに埋もれていた。
近くの柿の木は伐られていない。花が咲いていた。となりの梅の木では、葉の上でたくさんのてんとう虫がさなぎになっていた。
去年ナガミヒナゲシがやや多く出ていた土手は工事ですっかり切り崩され、鋼板が打ち込まれている。もとの土がわずかに残っていて、小さな株が1株だけいて、花を終えた茎を1つ立てていた。
こどもたちもおとなたちも、一面に広がるクローバーのまっただなかで、四つ葉を探し、花の輪を編んでいた。その隅のほうでカンサイタンポポが、この春の最後になるだろう花を1株ひとつふたつ咲かせていた。
2017年5月14日
道の記
ナガミヒナゲシとスズメノカタビラやノミノツヅリなどの草が同居していた場所、ときどき様子を見ていたのだけれど、今日見たら全部の草がまとめて引っこ抜かれていた。ノミノツヅリがかろうじて数センチ丈の茎を残していた。
よく晴れているのにばらばらと音を立てて何か降る。見れば楠の花だった。
ドクダミの花も咲き始めた。
ノゲシが1メートルを超える丈で競うように茂り、たくさんの綿毛をつけていた。工事予定地で、土地がいつまでいまのままかわからない。その向こうで、伐採されて切り株もすでに撤去された柿の木が、これでたぶん3度目になる芽を地面のところどころから突き出して、ういういしく葉を広げていた。
2017年5月10日
道の記
道端にただ1株、ただ1本の茎を高く差し上げて綿毛を空に送り出した後のたんぽぽ。茎は立ったまま萎れ始め、葉はいくらか色褪せていた。在来種か外来種か雑種か、見てもよくわからなかった。そのどれでもないのかもしれなかった。
雑木林からなかば竹林に変わりつつあった道沿いの丘が切り開かれて、マンションの建設予定を知らせる札が立っていた。丘そのものも大きく削られる途中のようで、敷地のひと隅だけが高さを残していた。そのわずかな丘のいちばん端で、草苺が赤く実っていた。
2017年5月9日
道の記(イヌノフグリ)
道端の縁石下に1株だけいた在来イヌノフグリは、吹き流されてきたたくさんの桜蕊に埋もれていた。
(2017年4月30日)
そして桜蕊がいくらか吹き流されていったのか、先日通ったときにはイヌノフグリの小さな葉が見えていた。2株いた。
福岡のまちなかにいる在来イヌノフグリはいまの時期は枯れつつあるところ。枯れきった株も見るし、茎の先端の小さな葉だけ緑味を残している株も見かける。そんなふうに小さくなって生き延びている株にひとつだけ小さな小さな花が咲いていたり、ひとまわり小振りな実が実っていたりする。
少し前まで互いに競っていた他の草々の陰になって、弱々しいながらも枯れずに生きている株を見かけたりもする。この時期になると、日差しを強く受ける場所よりもかえって草陰のほうが過ごしやすいのかもしれない。
そう思うと、桜蕊に埋もれていたイヌノフグリも、ひととき埋もれていたおかげでいま生き長らえているのかもしれない。
2017年5月4日
2017年5月1日
道の記
砂利敷きの小さな広場に保存樹の標識だけが立っていた。近くに寄ると、すっかり朽ちた切り株の一部が地表に残っていた。人がつまづかないように標識を残してあるのか、木がたしかにあったことを残してあるのか。標識が木そのものに変わって生き続けているようにも思えた。
坂を上ると小さなひっそりとした公園に出た。木の切られた香りにすぐ気がついた。見ると、園地の端に大きな切り株があった。地表に出ている根のあちこちで皮が剥けていた。ところどころにひこばえが生え、細かな鋸歯のある葉を広げていた。公園にいるあいだ、誰もやってこなかった。
染井吉野の切り株は切られて4度めの春。かなり腐朽が進んだが、今年も、ひこばえからたくさんの葉を出している。昨年は草刈りの際にひこばえが切られたが、今年はいまのところそのままにされているようだ。どんな姿になってもいまのいのちを謳歌している。
そして道端のいちょうの切り株の周りは小さな緑のいちょうの森になっていた。
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