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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2017年3月27日

道の記


ナガミヒナゲシとホトケノザが混在して出ていた場所、去年も何度か薬が使われたが、今年もさっそく枯らされていた。あいにく計数していなかったのでぱちっとしたことが言えないが、ホトケノザのほうがより広い範囲でダメージを受けたように見える。

2017年3月26日

道の記


開花宣言よりいつも少し早く咲く染井吉野、見上げても花が見つからない。まわりの木にはちらほら花が。今年はのんびりしているのだなあとその場を離れようとして、木の根元近くにちょこんと花が咲いているのを見つけた。

2017年3月25日

道の記


その桜が咲くと、毎年お近くの方と「咲きましたね」と立ち話をなさるのだと伺った。そう伺ってから私もその桜の木を毎年訪ねるようになった。今年も、「咲きましたね」とお話しなさっただろうか。

いちばん歩道寄りの、敷地の外から見やすい枝に、2輪咲いていた。

2017年3月23日

道の記


初めて立ち寄った公園で、染井吉野だと思われる桜の木に1つだけ花が咲いているのを見つけた。


たんぽぽに足を取られて目的地にたどり着けなかった。


ナガミヒナゲシのつぼみを見つけた。

2017年3月22日

道の記


近くの桜が1輪咲いたという知らせをもらった。

2017年3月20日

道の記


ほんとうならそろそろ咲く頃だと思い、麦野公園の跡地と、かつてそこにいた早咲き染井吉野の根が埋設してある近くの場所を訪ねた。根が埋まる地面に動きはなく、手を合わせてその場を離れた。


公園跡地とそのまわりは工事がさかんに進められていた。立ち止まれない感じだったので歩きながらフェンスの隙間を垣間見た。いくつかの草が見えた。


その早咲き染井吉野より数日遅れて咲いていた、少し早咲きの桜の場所に行った。つぼみが出ていた。道向かいの病院のほうから、とても普段着なお歳の女性の方が桜の下へ歩いて来られた。少しのあいだ桜を見上げて、にっこりして病院へお戻りになった。

2017年3月19日

道の記


ここの桜は開花宣言より4、5日早く咲くとおっしゃるので見てみると、はっきり赤く見える芽があり、つぼみが3つ姿をあらわしていた。まだ柄が伸び足りないように見えるが、もし暖かい日が続いたら2、3日のうちに咲きそうな様子。


でも染井吉野の開花を1日1日待つ気持ちは今年は薄い。自分が関わりを持ったいくつかの木々は花の頃に見て回ろうと思っているけれど、そのほかにどこかで早咲き花を見つけたいという気持ちはない。


芯が大きく腐朽した伐り株の中に小枝が出ていて、その枝に付いた芽が早くも緑色を見せていた。花を咲かせようとしている他の木々に先んじて、春本番を告げている。


冬に刈られたシロバナタンポポ、出足が鈍かったけれどようやく花が盛んになってきた。今年に入ってむしられたモウコタンポポはまだロゼットが小さく、花はもうしばらく先になりそう。


夕方ようやく手にした昼食のパンをとんびに獲られた。

道の記


少し早く咲くソメイヨシノ、芽のうちのいくらかでつぼみの頭が出て赤く見えている。でも伸び出ているつぼみは見当たらない。

2017年3月18日

道の記


桜が咲いていた。若い木。数輪。ソメイヨシノかどうか私はわからなかったが、ご同行くださった樹木に詳しい方がソメイヨシノだとおっしゃっておられる。道行く人も気付くと思う。

2017年3月16日

道の記


まちのソメイヨシノの木々は、殼割れしたかしていないかぐらいの状態。早めに咲く木を除けば、開花はちょっと先のことになりそう。


ところどころで実桜らしき桜が満開になっている。白木蓮に続いて辛夷も咲き出した。

2017年3月15日

道の記


線路脇の実桜はもう九分ほど咲いていた。横の線路はこれから撤去されることになる。桜の場所のこれからもよくわからない。今年の花の香りをしっかりと受け取った。

2017年3月13日

道の記


昨日立ち寄った公園のうち2つが再整備工事中だった。1つは池まわりの木々が数本だけ残されて撤去されていた。以前は半日陰だった水辺にさんさんと陽が降り注いでいた。大きなシナサワグルミの木も切り株になっていた。

公園沿いの歩道も、ツツジの植え込みが撤去され、桜の下は芝になった。街路樹のイチョウも撤去されつつあり、抜根して舗装し直している工事中の区間もあった。そこはもう街路樹を植えないように見えた。

もう1つの公園は大きな草地があったのだが、整地されていた。白い地面が広がっているのを見て愕然とした。そこには、私が日頃見ている範囲ではほかに見かけない種類の草がいて、まだきちんと同定していなかった。

その公園では、遊んでいたこどもたちに捕まって、草を一緒に見て回った記憶がある。そしてたしか手持ちの図鑑を貸して、こどもたちは草を見て自分で絵合わせして楽しんでいたのだった。

工事の様子から見て、そこも芝生になるのだろうと思う。

よかれと思ってやっている方々には申し訳ないけれども、ほんとうに涙が出た。


明日は、別の場所の木のことを書こうと思う。

2017年3月12日

道の記


マンションまわりの公開緑地が歩けるようになり、大学キャンパス時代からの木々に近く寄ることもできるようになった。2度の移植に耐えた木々はそれぞれなりに元気だったが、一部は代替されていた。コブシはもともとあまり元気な木でなかったが、なんとかいくらかの花芽を付けていた。

キャンパスの角で図書館の裏だったクスノキの一角がまちかど広場に変わった。クスノキはひとつひとつ植え込みの中に位置するようになり、株元の土は入れ替えられていた。落とされた大枝の断面近くから、たくさんの小枝が上へ伸び上がっていた。

人間にとっては、新しい「まち」をつくる華々しい一大事業で、多くの人の期待が寄せられていた(地名のツイート検索で、わくわくするという声を幾度も読んだ)。しかし、以前からそこにいた木や草花にとっては、まったく違う出来事だったろう。

生き延びたクスノキは生きながらひとり自分に問い続けているようでもあった。よく見ると、枝先に小さな新芽が付いていた。

2017年3月11日

道の記


少し早く咲くソメイヨシノの木、花芽の殻が割れて緑色が見えていた。ただ、つぼみはまだ出てきていない。

道の記


その道のそちらの片側はめったに歩かないのだけれど、信号の流れでひさしぶりにそちらへ渡った。しばらく歩いていると、水気のない排水口からヒメオドリコソウがちょっと伸び出て花を咲かせていた。


ヒメオドリコソウは自分の生活範囲ではなかなか見かけない。あまりに見ないので希少な在来種だと思い込んでいた頃もあった。最近はいろいろな道を歩いていることもあってか、何か所かで見た。それぞれ、そこだけにかたまって生えている。


ポプラの伐り株のところにときどき立ち寄っている。次の工事が来年度のどこかで入るのだろうと思うが、なんにしてもときどき立ち寄ろうと思っている。


桜がいたあの場所にもときどき足を運んでいる。

2017年3月6日

2017年3月4日

道の記


公園のヒマラヤスギは幹の途中まで伐られて残されていた。


イヌノフグリがいる植え込みにこれから何か手が入るのか、一部が掘り返されている。先日は植え込みを間違えて、イヌノフグリが全部なくなってしまったと思い込み、落ち込んだ。いまのところぎりぎりで無事だが、これから何が始まるかで変わってくることになりそう。

草花の思い出


本棚から、保育社のカラー自然ガイド人里の植物が出てきた。かなり古いもので、その頃に私は植物に興味を持っていなかったと思う。おそらく祖父のものだろう。

小学校に入ったぐらいの頃、母が家で生け花を習っていた。その横で植物図鑑を見ながらノートに色鉛筆で草の絵を書いていたのを覚えている。しかしその後の草花の記憶はわずかしか思い出せない。

ナズナが好きだったこと、何かの草の茎から芯を取り出して結んで遊んだこと、女の子から何かの花の種子をもらって蒔かずじまいだったこと、そのぐらい。学校帰りの道に生えていたへびいちごのことを友だちと話していたのも覚えているが、食べたかどうかは思い出せない。

それから20年ぐらい、植物のことを特別どう思うこともなく暮らしていたように思う。

新聞の読者欄に、こどもの頃に自然と近しくふれあうことが大切、といった言葉が載っていて、読んでちょっと複雑だった。前にも書いたような気がするけれど、ある学会大会で参加者の先生方と話をしていて、私が草遊びをほとんど知らないのに驚かれたというか呆れられたのも思い出した。

思い出したところまでで止めようと思う。