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2021年4月18日

道の記(2021年4月18日 阿蘇から竹田へ:その2 竹田・阿蘇・熊本)



駅では猫駅長さんに会えた。駅長の椅子のところで掲示を見ていたら、にゃあと一声鳴いて外から帰ってきた。ほいっと椅子に乗ってすぐ眠り始めた。地元の方らしき方が入ってきて、駅長さんに話し掛けながら頭をなでていた。その方が立ち去ってから私も駅長さんの頭をなでたが、もう眠かったようで頭を動かした。そのあとは少し話し掛けて私も立ち去った。駅長さんはしずかに寝ていた。

また道を間違えた。

歴史の道というような掲示が出ている階段を昇った。段にはところどころ草が生えていた。少し草が取られたような様子も感じたが、途中にすみれが出ていた。

階段を昇った先からは町が見下ろせた。緑の濃い場所だったけれどどんな草が居たかいま思い出せない。藤が咲いていた。

記念館の裏の切り立った斜面に取り付く石段も少し昇ったが、そこに生えていた草も思い出せない。いちどきにたくさんの草を見ると自分はもう覚えることができなくなっているようだ。

新しい図書館の前を通り、角を曲がってもとの図書館の場所を探した。最初は別の場所を勘違いしてそこの新しい建物の写真を撮った。その先へ歩くと、もとの図書館の建物がそのまま残っていた。別の目的で転用されている様子。ちょうど手前に選挙の告知版が建てられていて、その告知版をどなたかが写真に撮っておいでだった。私は私でもとの図書館の建物を写真に撮った。

急な坂を降りるとオドリコソウが立ち並ぶ小径だった。

ピアノのオブジェは分かれ道からすぐの所だった。ピアノは緑に囲まれていた。鍵盤は落ち葉などが少し積もっていた。いつものように即興と「農夫の歌」の一部を弾いた。心の中だけで音がした。鳥の声がしていた。

城の石段を上っていると、上から手すりにつかまりながら御高齢の方が降りてきた。あなた元気ね、あしどりが早くて、私は毎日来とるけどそんなに歩ききらん、と、元気そうにおっしゃった。

まったく時間がないので城跡を駆けた。広場になった野原で御家族らしき方々が何か遊び道具を持って遊んでいた。もう少し先まで行くことにした。見晴らしが良くなった。阿蘇の山々、阿蘇の手前の山々がとてもとても大きく広がっていた。いや、そこまでの空間が大きく広がっていた。

走って急いで駅へ着くと発車時刻を勘違いしていた。まだ15分近くあった。駅長さんは見当たらなかった。入浴施設でおみやげを買って駅に戻った。ホームを離れる最後まで、まちは青空で明るかった。

熊本の方向へ向かう列車の車内に、正面から夕方の日差しが明るく白く差していた。

行きがけは神社のほうへ行ったが、こちらのほうに大きな木がいるはずだったので、今度はそちらのほうへ歩いた。お家の八重桜が満開だった。別のお家の柿の木も以前見た覚えがあった。若葉だった。その先に、お家の敷地ではなく道沿いに小さな空地があって、そこに大きな木が立っていた。たぶんこの木だったろう。若葉をたくさん吹いていた。にれの仲間のような葉だった。もう夕日が沈みそうに赤かった。

そこへ向かう途中に道路の対岸の歩道を地元の方らしき方がお散歩だったのか用事だったのか、ぽつんと歩いてらっしゃったのだった。そちら側の歩道を行った。墓地の縁を細めの菜の花が飾っていた。

夜の熊本駅前にもういちど降り立った。株立ちしている大きなけやきの下のベンチには今度はどなたかが掛けていた。そこへは行かないで、もういちど駅前の景色を見て、駅構内へ戻った。



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