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2021年4月18日

道の記(2021年4月18日 阿蘇から竹田へ:その1 阿蘇まで)


早い時間だと思っていたが東の空が少し明るかった。アルクトゥールスはすでに天頂を過ぎて、東の空高く夏の大三角が掛かっていた。

列車の中から、朝日をひさしぶりに見た。英彦山のほうから昇ってきた。しずかな景色だった。

一昨年に熊本駅で外へ出たときに、草を見た記憶があった。そのあたりまで歩いてきたが、新しそうな木々が立っていて、その下の植え枡は芝生のようになっていた。やはり新しく植えられた様子の株立ちしているけやきの下で、駅構内で買ったフィッシュサンドを食べた。ごまつぶを1つ落としてしまった。

豊肥本線に乗る。肥後大津から先へ鉄道で行くのはたぶん8年ぶりくらいになる。立野のスイッチバックを通過し、しばらく行くと新しい阿蘇大橋が見えた。新しい橋を見たのは初めて。しかしその先では対岸の崖が崩れていた。崖の上のガードレールがねじまがり、道路の切れ端が残って谷へ垂れ下がっていた。

旧大橋の後だと思われる位置に駐車スペースができていて、そこに車が何台か停まり、人が出ていた。その方々がこちらを向いて、手を振った。何人も。列車からも何人も手を振っていた。私もすぐ手を振った。向こうの方々は後から思うとどなたもマスクをしていたはずなのだが、笑顔だと感じた。その方々の向こうに崩れた崖と道路が見えていた。

手を振り終えて、その先の阿蘇の山々を見て、はっと気がついた。この区間が開通したことの意味。鉄道が復旧、復活したことの意味。地元の方々にとってのその意味。

前回ここを代行バスで通ったときは外輪山の上を通ってきたのであまりわからなかったのかもしれないが、外輪山の山肌があちこちで崩れていた。

列車の車内を、カメラを持った方が右へ左へ行き来していた。やがて左前方に、一列に並んだシバザクラのような紅色の花の帯が見えてきた。そのカメラの方が左側の席で写真を撮っていた。

宮地駅で降りるのもひさしぶりということになる。阿蘇神社へ行ってみることにした。

道沿いの草が福岡で見慣れた様子とはちょっと違う感じがした。たんぽぽが大きい。花が高くて、花が派手に感じる。ヒメオドリコソウがあちこちに生えているのも福岡とは違う景色だった。福岡ではもうだいぶ枯れているオランダミミナグサが、いっぱい咲いていた。

阿蘇神社は楼門が立て直され、大きなプレハブの建物が建ち、その裏手で拝殿が工事されているところだった。裏の林になっている木々や境内のけやきはだいじょうぶだったようだが、境内に入る手前にいちょうの切り株があった。たくさんのひこばえを出していた。

甘味処の看板を見ながら行きがけとは別の道に入った。スーパーマーケットやお店が並んでいる。ところどころに石垣があり、土の斜面もあり、すてきな感じの道だった。オドリコソウがたくさん咲いていた。ハルジオンの花がずいぶんあかかった。石垣にはキランソウやトウバナや、あまり見ないアブラナ科らしき草が出ていた。

マッキントッシュクラシックが何台も陳列してあるお店の前を通った。お店として開いているのかちょっとわからない感じだったが、時間さえあれば立ち寄ってみたい気がした。

(下の記事へ続く)


道の記(2021年4月18日 阿蘇から竹田へ:その2 竹田・阿蘇・熊本)



駅では猫駅長さんに会えた。駅長の椅子のところで掲示を見ていたら、にゃあと一声鳴いて外から帰ってきた。ほいっと椅子に乗ってすぐ眠り始めた。地元の方らしき方が入ってきて、駅長さんに話し掛けながら頭をなでていた。その方が立ち去ってから私も駅長さんの頭をなでたが、もう眠かったようで頭を動かした。そのあとは少し話し掛けて私も立ち去った。駅長さんはしずかに寝ていた。

また道を間違えた。

歴史の道というような掲示が出ている階段を昇った。段にはところどころ草が生えていた。少し草が取られたような様子も感じたが、途中にすみれが出ていた。

階段を昇った先からは町が見下ろせた。緑の濃い場所だったけれどどんな草が居たかいま思い出せない。藤が咲いていた。

記念館の裏の切り立った斜面に取り付く石段も少し昇ったが、そこに生えていた草も思い出せない。いちどきにたくさんの草を見ると自分はもう覚えることができなくなっているようだ。

新しい図書館の前を通り、角を曲がってもとの図書館の場所を探した。最初は別の場所を勘違いしてそこの新しい建物の写真を撮った。その先へ歩くと、もとの図書館の建物がそのまま残っていた。別の目的で転用されている様子。ちょうど手前に選挙の告知版が建てられていて、その告知版をどなたかが写真に撮っておいでだった。私は私でもとの図書館の建物を写真に撮った。

急な坂を降りるとオドリコソウが立ち並ぶ小径だった。

ピアノのオブジェは分かれ道からすぐの所だった。ピアノは緑に囲まれていた。鍵盤は落ち葉などが少し積もっていた。いつものように即興と「農夫の歌」の一部を弾いた。心の中だけで音がした。鳥の声がしていた。

城の石段を上っていると、上から手すりにつかまりながら御高齢の方が降りてきた。あなた元気ね、あしどりが早くて、私は毎日来とるけどそんなに歩ききらん、と、元気そうにおっしゃった。

まったく時間がないので城跡を駆けた。広場になった野原で御家族らしき方々が何か遊び道具を持って遊んでいた。もう少し先まで行くことにした。見晴らしが良くなった。阿蘇の山々、阿蘇の手前の山々がとてもとても大きく広がっていた。いや、そこまでの空間が大きく広がっていた。

走って急いで駅へ着くと発車時刻を勘違いしていた。まだ15分近くあった。駅長さんは見当たらなかった。入浴施設でおみやげを買って駅に戻った。ホームを離れる最後まで、まちは青空で明るかった。

熊本の方向へ向かう列車の車内に、正面から夕方の日差しが明るく白く差していた。

行きがけは神社のほうへ行ったが、こちらのほうに大きな木がいるはずだったので、今度はそちらのほうへ歩いた。お家の八重桜が満開だった。別のお家の柿の木も以前見た覚えがあった。若葉だった。その先に、お家の敷地ではなく道沿いに小さな空地があって、そこに大きな木が立っていた。たぶんこの木だったろう。若葉をたくさん吹いていた。にれの仲間のような葉だった。もう夕日が沈みそうに赤かった。

そこへ向かう途中に道路の対岸の歩道を地元の方らしき方がお散歩だったのか用事だったのか、ぽつんと歩いてらっしゃったのだった。そちら側の歩道を行った。墓地の縁を細めの菜の花が飾っていた。

夜の熊本駅前にもういちど降り立った。株立ちしている大きなけやきの下のベンチには今度はどなたかが掛けていた。そこへは行かないで、もういちど駅前の景色を見て、駅構内へ戻った。