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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2020年9月30日

道の記

スーパーマーケット跡地はヒロハホウキギクがたくさん咲いていた。オオアレチノギク、ヒメムカシヨモギがそこに混じってそれぞれに花を咲かせていた。
 
クサギのトンネルだった場所の少し先の斜面のクサギに実らしきものが見えた。
 
ツルボはさらに咲き進んだ。花の穂の見た目の重心がだいぶ上になった。
 
とても大きく幹回りも太かった、公園のイヌマキが伐られていた。切り株にビニルシートがかぶせられていた。ビニルシートがかぶっていないところの幹に手を触れた。少し温かく感じた。
 
むかしからの公営アパートが解体撤去されて更地になった。砂利敷にアキノエノコログサなどの草が生えている。がらんと白い土地にぽつぽつと生きている草たちの景色が、この街の中にあたらしい場所を作っているように見えた。 
 
2020 9/30 スーパーマーケット跡地 ヒロハホウキギク オオアレチノギク ヒメムカシヨモギ クサギのトンネル クサギ ツルボ イヌマキ アキノエノコログサ 公営アパート跡地

2020年9月27日

道の記

美術館へ行くのに公園の草地にできた近道を歩いていたら、小さなこどもさんが木の枝を持ってこちらを見てにこにこしている。足元を見ると、地面に線で絵が描いてある。ジャムおじさんとバタコさん。わあ、きれいに描けてるね、と話して通り過ぎたのだが、立ち止まって絵を見ていたらよかった。
 

美術館の帰りにその絵のところへ戻った。他にもいろんな絵が描いてあったのだった。ケーキ、たくさんの果物、そしてこどもさんらしき笑顔。こどもさんはもういなかった。

 
公園の林のところどころに人が座っていた。この場所のこういう景色をあまり見たことがない。明るい休日の午後。

 
近寄らないでと札が掛けられていた桜は伐られていた。切り株は乾いていて、伐られてから少し時間が経ったようだった。ひこばえが出ていないか見てみたが、切り株も根も茂る草たちに囲まれていて、ひこばえはわからなかった。

 
丘の陰の斜面でアキノノゲシが咲いていた。

 
ツルボはさらに少し咲き進んでいた。日がちらちら当たっていた。
 

大きな公園は人がたくさん。自分の居所がなかった。大きなケヤキの下のベンチが空いたので掛けた。カリンバをぽつぽつ鳴らした。日が傾いていた。
 

十月桜がちらほらと咲いていた。そのとなりでオカリナを吹いた。日が暮れた広場では、向こうのほうから、遊び続けている人たちの声がしていた。こどもたちが歌っている声がかすかに聞こえた。
 

2020 9/27 地面に描いた絵 サクラ アキノノゲシ ツルボ ケヤキ 十月桜

2020年9月26日

道の記

2つ信号のオニタビラコは出ているかわからなかった。エノコログサが穂を1本立てていた。
 
スーパーマーケット跡地は、アキノエノコログサがたくさん穂をなびかせていた。アキノノゲシにたくさんのつぼみ。咲いたあともあった。
 
ツルボが咲き始めていた。穂の下のほう。これからだ。
 
2020 9/26 2つ信号のオニタビラコ エノコログサ スーパーマーケット跡地 アキノエノコログサ アキノノゲシ ツルボ

2020年9月24日

道の記

丈の小さなヤナギバルイラソウが、雨のためか花を一輪落としていた。
 
2020 9/24 ヤナギバルイラソウ

2020年9月22日

道の記

公園は広すぎて寄る辺なく感じた。川土手に出て、橋を渡って中洲へ向かった。橋から中洲へ降りる階段で、おひとりが段に掛けて、もうおひとりがカメラを構えている。さっと行こうとしたら、こんにちは、と、少し外国語の雰囲気がある調子で挨拶していただいた。
 
中洲は大きなくすのきの林。砂が積もっていた。以前来たときもその前の水害で中洲が水に浸ったが、それ以降、たぶん今年も、水をかぶったのだろう。
 
砂が積もった道を、傾いた日に照らされながら、蝉の幼虫が歩いていた。小さい。たぶんつくつくぼうしだろう。見ていて同じところを回っているようだったので、考えた末、葉っぱに載せてくすのきの根元に渡した。
 
ひかげちょうの仲間の蝶が、砂が少し水を吸った様子の地面に降りていた。
 
中洲の突端まで歩いた。砂が厚く積もっている。セイバンモロコシやオオブタクサが立ち並ぶその向こうに、川の土手と夕日。左手には川の対岸の土手。後ろを向くと、なにか南国の木のように大きな枝をたくさんくねらせて立ち上げている、くすのきがそびえていた。足跡もあり、人が来ないではなさそうだったが、誰か居る様子ではなかった。
 
夕日と空を眺めているうち、あちこちで夕方の音楽が流れ始めた。曲はばらばらだった。その最後のひとつに押されるように、突端を立ち去った。
 
ひかげちょうはそのまま同じ場所に居た。つくつくぼうしの幼虫はいなくなっていた。
 
公園で日暮れを待って星空を見た。夏の星々。少し満ちてきた上弦前の月が、アンタレスと斜めに並んでいる。いるか座の星々がかろうじて見える。天の川は見えるようで見えないようで、うっすら見えているのも気のせいかもしれなかった。それでも大きな星空だった。持って来たカリンバを星を写し取るようにして鳴らした。これでいよいよ夏が終わりそうだ。
 
2020 9/22 クスノキ 蝉の幼虫 ツクツクボウシ ヒカゲチョウ セイバンモロコシ オオブタクサ 夕日 月 アンタレス さそり座 いるか座

2020年9月21日

道の記

参道は人でいっぱいだった。なにかはじけたようだった。
 
山へ上がっていく道。5年ぶりに歩く。家が高いところにかけて増えたような気がするが、道沿いのくすのきはあまり変わりなさそうに見えた。
 
中腹の小山に立ち寄った。桜がすでに葉を落としていた。わずかにだけ咲いているアキノノゲシの花に、キアゲハがとまっていた。
 
明るい林の中の道を行く。途中、道を間違えて降りてきた様子のおばあさんとお孫さんらしき方々が、詳しそうな方に案内されて道を戻り始めた。その方々の後を私は登っていった。お孫さんたちがいっぱいおしゃべりしながらおばあさんの後を追っていた。
お孫さんたちが休みたいということで皆さん休憩を取られた。先へ行かせてもらった。しばらく行った先で私も休んだが、ご一行は分岐で別の道へ向かわれたようで、現れなかった。
 
山からの眺めは懐かしかった。青かった。もうひとまわり高い向こうの山は、ここよりももっと何年も登っていない。眺めていると、遠くにも近くにも感じられた。
 
坂道の途中の、登るときには気づかなかったところに白彼岸花が一輪、咲いていた。
 
2020 9/21 クスノキ アキノノゲシ キアゲハ 白彼岸花

2020年9月20日

道の記

聖夜の木は冬芽を用意していた。ふもとにはオヒシバやコメヒシバが茂っていた。


ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは元気そうに見えた。タピオカらしきものを飲んでいる方が手前におられて近づくのは遠慮した。


お屋敷跡のいちょうも元気そう。


公園はにぎわっていた。水路でヨシノボリを見つけた。


カゼクサが生えている場所を通り過ぎて引き返した。カゼクサは今年もぱらぱらと穂を付けていた。こどもたちが小さな自転車で行ったり来たりしていた。


この前も通った道だが、きょうは白い彼岸花が咲いていた。


この前この道を歩いたときより少し遅い時間になった。この前もすれちがったお歳の御夫婦がきょうは少し手前ですれちがった。道を向こう側へお渡りになろうとしている様子だった。車が来るのが続いていた。


暮れていく見晴らしの丘は虫の声がいっぱい。水平線の上が夕焼け色。空の下に広がる草原。この景色が大好きだと思った。草も木もほのかに夕焼け色をしていた。


公園の高台。さそり座が大きく横倒しになっていた。


2020 9/20 聖夜の木 コブシ オヒシバ コメヒシバ ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウ ヨウシュヤマゴボウ  飯田屋敷跡のイチョウ ヨシノボリ カゼクサ 白彼岸花 さそり座

2020年9月17日

道の記

 

何年ぶりに通るかわからない小道。畑があった。そうだったか。少し先で猫が誰かを待っていた。

 

桜は台風で倒れたのではなくもともと中が腐っていて台風の前に伐ったという。まだ回収されていない幹が置かれている横で、ご近所の方らしき年配の方が草を取っていた。

 

この路地でも猫が誰かを待っていた。私が行くと逃げようとしたが、逃げなくていいよと私のからだから信号が出ていたか、私が通り過ぎるあいだ、道の脇で私の顔をうかがいながらじっとしていた。

 

2020 9/17 猫 サクラ 

2020年9月16日

道の記

 

公園が明るくなっていた。木々に囲まれていたのだがその木々がなくなっていた。昼間なのに人は誰もいず、ただ明るかった。切り株のそばに花のないハゼランが寄り添っていた。

 

歩道を行くお母さんのとなりで、こどもさんが踊るように歩いている。道はまだ工事の最中で、歩道の横の大きな土のうの脇に小さな草むらができていた。

 

角のイヌビユが生えていたあたりに小さな緑が見えていた。

 

2020 9/16 イヌビユとムラサキカタバミの角 ハゼラン 土のう イヌビユ

2020年9月14日

道の記


地図で見ると左の新しく整備された道のほうが早く着けそうだったが、これまでよく通ってきた右の道を行くことにした。歩道脇からタチスズメノヒエが伸び出していて、穂に当たりながら歩いた。こちらの道でよかったと思った。


前を行く人が神社の鳥居の前で一礼して歩いて行った。


新しい道ができつつあった。そこは通れないので以前の道へ入ったら、その新しい道に出た。このあたりのお家が立ち退いたということだろう。以前はここは小さな路地だった。新しい道の未開通部分で地元のこどもさんたちが遊んでいた。


ひさしぶりに親水公園に入る。もう暗いので歩くだけ。道の片側はマンションだが、もう片側に小川が流れる。木々が深くてそちらだけ見ると渓谷のようだった。


大くすのきの林だった場所のマンションの前にさしかかる。もうその敷地のほうを見ることはないだろうと思いながらそちらの方向を眺めた。暗い空にまだ入居が始まっていないマンションがそびえる。その向こうでアークトゥルスが低く輝いていた。


振り返ると木星と土星。アンタレスが見えるはずと思って探すが、雲が多くてわからない。もう見られないかと思って歩き出そうとしたときに、そのあたりに星明かりが見えた。赤い星。来年また見られることを願った。

道の記


交差点角のオヒシバは枯れていた。


伐採木置き場のいちょうは他の木や草に埋もれていた。ちらっといちょうの葉が見えたので元気にしてはいるのだろう。


ヒサカキの駐車場は完全に舗装されていた。ヒサカキのいたあたりもアスファルトの下になっていた。駐車場の端に小さな花壇があった。コスモスのような花が見えていた。

2020年9月13日

道の記


マンション建設予定地の桜の切り株はひこばえを出していた。


お店の前の植え込みにいろいろなマスコットが置いてあるのだが、きょうは幟の重しの上にキャラクターの小さなぬいぐるみが置かれていた。落とし物をそうして置いてあるようだった。


丁字路のエノコログサはなくなっていた。


草刈りに遭ったキツネノマゴは花を咲かせていた。


細い道の端を下校中のこどもたちが大声を上げながら通って行く。その手前の駐車場の塀沿いにセイタカアワダチソウが立ち並んでいる。どの茎も頂があおあおしていた。

道の記


イヌノフグリの場所に出ていたヤナギバルイラソウは姿がなくなっていた。まわりの草が枯れていた。

2020年9月11日

道の記


民芸風だった昔ながらの居酒屋さんが解体工事されていた。台風のせいだったかわからない。


スーパーマーケット跡地は杭が取り払われていた。丈の高い草たちはやや傾げている。ヒロハホウキギクがところどころ花を咲かせていた。


クサギのトンネルだった場所の近くのクサギが実をみのらせていた。


気にしていた木々は無事のようだった。街角の大きなくすのきの下の円形ベンチに、おそらくゲームを楽しんでいるのだろう人たちがぐるりと掛けていた。傾いてきた日があざやかだった。

2020年9月10日

道の記



ノゲシの場所、そこをまた通ったのでわかった。花のそばにつぼみができていた。


塀際にクワクサが並んでいる場所にさしかかる前、落ち葉が積もっていた。クワクサはどうだろうかと思いながらさしかかった。クワクサは変わりなく並んでいた。


角のヒメムカシヨモギは、残っていた茎も折れていた。いずれ次の芽をどこからか吹くだろう。


満開のオニタビラコそばのオニタビラコは、こころもち茎を道のほうへ傾げていた。

2020年9月9日

道の記


場所がどこだったかもう思い出せないが、行き道と帰り道の道沿いで、同じノゲシを見た。茎の先にひとつだけ、少し黄味のうすい花を咲かせていた。いま思うとからだ全体もこころもち色が薄かった気がする。

道の記


角のヒメムカシヨモギは、倒れているうちの綿毛のないほうの株は上のほうの花の枝が枯れたようにしていた。この前もそうだったのかもしれない。

2020年9月6日

道の記



角のイヌビユが切り株になっていた。


角のヒメムカシヨモギが倒れていた。その1本はまだ全体青く見え、もう1本はたくさんの綿毛をつけていた。

道の記


歩道に木の端切れといっしょにツクツクボウシが落ちていたのが見えた。後ろから人が来ていたので拾えなかった。


マンションの前に桜の木が植えられていたのがなくなっていた。切り株もなく、植え枡には青石の砂利が敷き詰められていた。


スーパーマーケット跡地の草たちは敷地内の方向へ傾いていた。杭も倒れ込んでいた。


イヌビワの植木鉢を置いていたお店の跡地では、草がめいめいの方向へ傾いていた。折れた草も。折れてもまた芽を高く伸ばしていくだろう。

2020年9月5日

道の記


スーパーマーケット跡地ではヒロハホウキギクやヒメムカシヨモギの小さな花がたくさん咲いていた。


クサギのトンネルのクサギが伐られて、ことごとく切り株になっていた。少し先に出ているクサギは無事のようだった。花も咲いているのが見えた。

道の記


お店の横に何年も出ているヨウシュヤマゴボウがすっかり枯れていた。根がどうなっているかはわからない。そのかたわらから、オニタビラコが花の茎を1本立てていた。


大くすのきの林だった場所のマンションは内覧が始まったようすだった。


つまぐろひょうもんも、あぶらぜみも、姿がなくなっていた。この前のときには気づかなかったけれどメリケンカルカヤが穂を立ち上げていた。

道の記


満開だったオニタビラコの場所に出てきているオニタビラコは、満開だったオニタビラコとは別の株のようだ。すぐそばに、たくさんの花の茎が枯れて横たわっていた。


公園のグラウンドで、ユニフォームを着たこどもさんが1人、どうも自分の家族ではなさそうな家族連れの方々に、空のどこかを指差しながら話していた。その方向を私も歩きながら見てみた。夕焼け雲が煙になってヴェールを掛けているようだったが、その雲を差しているのかどうかわからない。振り返ると、こどもさんは話し終えたようで公園を立ち去って行くところだった。