道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2019年4月30日
道の記
以前ここで音楽祭が開かれたのがこの時期だった。そのときに会場そばでヒトツバタゴの花が咲いていた。思い出して、道を外れて立ち寄った。ヒトツバタゴはまっしろに咲いていた。寄贈なさった方のお名前が札にあった。その札に平成4年とあった。ヒトツバタゴの幹には忍草が着生していた。植えられたそのときからここまで過ごしてきた証しのようだった。札とヒトツバタゴに頭を下げて立ち去った。
春の小径はシロツメクサが咲いていた。ところどころ、ムラサキカタバミのように見える花が、雨に濡れて花を閉じていた。道の向かい側は麦畑で、穂があおく実りつつあった。ノビルがかたまって白い頭を高く伸ばしていた。浅い春はすでに眠りについたようだった。
道の記
以前陥没した道路はすでに復旧してしばらく経つ。ひさしぶりに通ったが、車もふつうに通り、歩道はたくさんの人が歩いていた。一部の植え込みが陥没に伴って無くなった。残っている植え込みの横を歩き過ぎていく。いろいろな草がいる。セイタカアワダチソウやアレチノギク、ハハコグサも生えている。一輪だけぽつんと、シャガが咲いていた。
建て替えられるビルの正面にいたクロガネモチの木が、無くされていた。一帯は安全棒で囲われていて、地下街入口を造ると書いてあった。ここには以前は靴を磨く方がおられた。犬もいた。でもだいぶ前にお見かけしなくなった。ならされた地面に何かコンクリートのようなものが敷かれ、その上に重機が置かれたままになっていた。重機の横に大きな袋が3つほど置いてあったが、何が入っているのかは見えなかった。
2019年4月29日
道の記
大くすのきの林だった場所は重機が作業をしていた。祭壇か祭司のように空にそびえている丘の上の大くすのきの切り株の脇に、芽が出ているのが見えた。作業はその切り株のふもとの土を掘削搬出している様子だった。大きな根株が斜めに置かれていた。振り返って大くすのきの切り株を見た。その上の空がとても青かった。
数年ぶりに歩く道では工場近くの道端の小さな空地のくすのきが伐られていた。けっこう大きな木だった。この地域のシンボルだと思っていた。切り株が残っていた。伐られたのはだいぶ前のようで断面はもう色がくすんでいたが、この切り株も小さく芽を出していた。まだ葉の形をしていない、ういういしい芽だった。
2019年4月24日
道の記
街路樹のモミジバフウがヒトツバタゴに植え替えられた道路では、そのヒトツバタゴが咲いていた。細長い花弁を捻ったようなつぼみがたくさん出来ていた。低い木になったので日陰は少なくなった。1本のヒトツバタゴの陰にぴったりとおさまって携帯電話を操作している人がいた。
残された桜の木には花がいくらか残っていた。近くの宗教施設に来られた方々が花の下でひと休みなさっていた。赤ちゃんを抱いたお父さんが敷地の隅で長く赤ちゃんをあやしていた。
閉鎖されたキャンパスの桜は伐られ始めていた。すでに姿が見えない木もあった。まだ工事が手つかずの、長く放置された風情の場所で、遅咲きの桜がいまこのときを咲いていた。
2019年4月21日
道の記
2つ信号のところでは今年もオニタビラコが咲いていた。寄って見ると、上部が切られた茎がいくつかあった。オニタビラコの花を摘んでいくというのはめずらしいことだと思った。切られた茎を囲むように、たくさんの花を咲かせていた。
ぽつんとヒメオドリコソウが固まって出てくる場所では、ヒメオドリコソウが今年も咲いていた。こどもたちが走り回って遊んでいるその隅のほうで、少し色褪せながら花を咲かせていた。どこからどう来たのかわからないけれど、これからもここで肩を寄せあいながら世代を継いで暮らしていくことだろう。
枯れたと思っていた坂の下のシロバナタンポポが生きていた。いやひょっとしたら代が変わったのかもしれない。閉じている花にそっと触れた。次の花の用意もあった。次の花が咲いている小さな景色をちらっと想った。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
オニタビラコ,
シロバナタンポポ,
ヒメオドリコソウ
道の記
イヌノフグリを継続観察している場所のうちの1か所では、イヌノフグリはすっかり枯れていた。もう枯れていく時期にはなっている。実のさやが割れていて、次の世代を送り出した後だった。おつかれさま、と声を掛けた。
もう1か所では、まわりにたくさん生えていたフラサバソウが枯れて、イヌノフグリがわずかに茎の先で生きていた。下のコンクリートに種子が撒かれていた。この場所でもきっと秋には、次の世代が芽を出すことだろう。フラサバソウたちも力を使い果たしたように伸びきって倒れていた。ここでは春は終わりを迎えようとしていた。
2019年4月20日
道の記
山はまだ景色のところどころで山桜が咲いていた。ダム湖の中の山桜も、この景色の中のどこかにこどもを残しているだろう。そう思いながら、ダムへ続く道を登った。
桜は完全に水没したわけではなく、これまでに最も水位が上がった時点でも梢のところが水面上に残っていた。その後水位が下げられ、この日は樹冠の全体が水面の上に出ていた。双眼鏡で見たけれど花や葉は見当たらなかった。
小学校の校庭の桜は沈んで2度目の春になる。水面は静かだった。近くにいろいろな観光施設ができて、車の通りはやや多くなったようだが、橋から見下ろす水面は静かだった。
移設された杉は、枯れ枝を落とされていたほかは元気なようだった。休憩らしく、大きな車がふもとにずっと停まっていた。
杉の横の崖では山桜が散り始めていた。崖沿いの道に上がり、桜の木の近くに来ると、香りがただよった。この山里は古い時代の書物にも記された山桜の里だった。里は無くなった。山桜はこれから何を伝えていくだろう。
(4月13日)
2019年4月16日
道の記
公園へ続く歩道の脇を通っている浅い水路が、アスファルトで埋められていた。ふだんは水が無く、たしかカヤツリグサの仲間などがいた。歩道ではマンテマやキュウリグサの花がいつもの春のとおりに咲いていた。
公園のベンチに掛けて茫然と広場の木々を眺めていた。桜が、いくらか残った花を風に落とし続けていた。自分にいま夢があるだろうかと考えながら、ふと、いま世話をしている幼い木々が大きくなった姿は見てみたいと思った。見られるのならば。意識なく軽く指だけ組んでいた手の中に、後ろから葉っぱが落ちてきた。
2019年4月8日
道の記
たんぽぽのロゼットの写真を撮り忘れたと気づいて、さっきまでいた小公園に戻った。ブランコに若いお母さんと小さなこどもさんが掛けていた。私が地面にうずくまってたんぽぽの写真を撮っていると、お母さんとこどもさんは帰り始めた。お母さんと目が合って会釈をしたけれども即座に目を離された。こどもさんは私を少しのあいだ見ていた。
桜の花びらが風に吹かれて、私を追い抜いていく。車も追い抜いていった。駆けていく花びらを踏まないように歩いたが、1枚を踏んでしまった。その1枚と並んで駆けていたもう1枚の花びらが、さっと飛んでいって道の外れに降りた。
イヌノフグリはやはり桜の花びらに埋もれていて見つけられなかった。そういえばこの前は花びらに埋もれていて乾燥を免れていたのだったと思い出し、花びらを掘り返すのをやめた。今季はもうこの道は通らないと思う。元気で、と心で声を掛けて、先へ歩いた。
山は霞んでほの青かった。ほぼ、空の色だった。何かむしょうに懐かしい気持ちになったが、何が懐かしいのか思い出せなかった。
2019年4月7日
道の記
同じ方向へ行くのにときどき違う道を歩いたりして、このあたりの小道もだいぶ歩いたと思っていたが、知らない道に入った。どのあたりに出るのだろうと思いながら歩いていると、正面に大きな桜の木が見えた。小さな公園だった。桜はちょうど満開。誰もいない。桜の下で水を飲んでひと休みした。いい花だったともう一度桜の木を眺め、先へ歩くとすぐ、見覚えのある道路に出た。あの公園だったのかとわかった。振り返った。桜は他の木々の向こうで、いまこのときとばかりに明るく咲いていた。
2019年4月6日
道の記
交差点のホリホックが新しい葉を用意していた。たんぽぽが先に花を咲かせていた。
この道はしばらく通らないだろうと思いながら歩いているといろいろなものがいとおしく思えた。
もう長く開かないお店の前。以前はオニタビラコがいたのだが、プランターごといなくなってしまった。わずかな隙間からノゲシが咲いていた。
畑は一面、キツネノボタンの仲間だと思う黄色の花がぴかぴかしていた。自転車に乗った若い人が、狭い歩道をゆっくりと、ふらつきながら通って行った。
山際のバス停はポケットパークになっていて、通るといつも何かの花が咲いている。きょうはどなたかが枯れた草を抜いておられた。目が合うと、にこっとなさった。こんにちは、と挨拶を交わした。桜の次に木蓮が咲き始めていた。
春の小径は深まる夜に眠っているようだった。寒かったあいだ、春をくれてありがとう。
道の記
建て替えのためまもなく閉館になるビルの前で、コブシの木が緑になっていた。
公園緑地の工事が始まっていた。木が少なくなってしまった。緑地の端の草や低木が茂っていた場所に工事の人たちが入っていて、土を掘り返していた。
区画整理後に残された桜は今年も咲き始めていた。地域の方が敷地内の草を手で刈っていた。私が通い詰めていた頃から10数年経った。私もその方に覚えがなかったし、その方から声を掛けられることもなかった。桜はもっとむかしのことを知っているはずだが、何も言わずに明日の花を準備していた。
閉鎖されたキャンパスでは建物の取り壊し作業が続いているようだった。遠目に見える構内の桜はみごとに咲いていた。
2019年4月3日
道の記
くすのきが伐られた神社では境内の木々が枝をばっさりと落とされていた。
記念植樹の桜の木が伐られてしまった公園では、その桜の切り株がひこばえを伸ばしていた。伐られていない桜たちはみごとに咲いていて、向かいのお家の方がその景色を眺めておいでだった。
跡地の春。大きなビル群の下でたんぽぽも桜も菜の花も咲いていた。そのそれぞれの由来をたぶん知らないだろう新しい人たちが、新しい街を明るく行き交っていた。
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