道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年4月30日
道の記
前に街灯に照らされたノゲシを見たのはやはりどこだったか定かに思い出せない。ここではなかったかと思う場所は、工事が始まっていた。ノゲシのような大きな草はもう生えていなかった。その先を歩くと、同じような景色の場所で、それぞれの場所の街灯に、いろいろなノゲシが照らされていた。
建物の脇の小さなくすのきの切り株は、動きがなかった。
先日夜桜を見た公園の桜も葉桜になっていた。この桜も数輪、花が残っていた。手を振って別れた。
陸橋をめずらしく人が降りてくる。おとうさんらしき方とこどもさん2人。年上に見えるこどもさんはすたすたと降りてきた。降りるのを遊んでいる様子。もう1人のこどもさんが上で慎重に動かずにいた。おとうさんが少し下で見守っている。私が昇っていくと、入れ替わりに降りていった。
隅の電柱のふもとにアレチノギクが出ていた駐車場は、マンションになっていた。アレチノギクが出ていたあたりは、オタフクらしき低木の植え込みになっていた。マンションの前を通り過ぎると道は暗かった。その先も駐車場だが、そこではアレチノギクを見たことはまだない。
そしてどこかの道端で、小さくこんもりとしたオランダミミナグサがやはり街灯に照らされているのを一瞬見た。ちらちらと美しかったが、そこもどこだったかもう思い出せない。
道の記
猫がやってきたけれど餌をやらないのでほどなく去っていった。去る前に私の脚にからだを寄せていった。
公園のトランぺッターは音を出すのにだいぶ苦労している様子だった。でも苦しい苦労ではなさそうだった。
接ぎ木の桜は花が思いのほか残っていた。しあわせが続いているみたいだった。
ひょっとしたらあの桜も、あの桜も、まだ少し花があるかもしれない。そう思って、帰り道を寄り道して桜を回った。桜はそれぞれに数輪を残していた。あいさつをしながら桜のあいだを歩いた。
くるみの木に花が咲いていた。
白木蓮や蝋梅が雑木林のように茂っていた角地が切り開かれていた。白木蓮が1本、つつじが1本、種類がわからない木が1本、残されてテープが幹に巻かれていた。
道の記
訪ねたイヌノフグリの場所ではイヌノフグリを見つけることがほとんどできなかった。ただ1か所、大きな木の根元にやや大きな株が生えていた。花は見当たらず、茎の下に実の房をいくつかつけていた。ここだけで生き繋いでいるのか。次は秋のうちに来てみないといけない。
道の記
藤棚の藤の花が刈り取られた報道を聞いたのだった。ここの藤棚では、たくさんの房が下がっていた。いまが盛りのよう。手入れなさっているらしき方が、建物の向こうへと回り込んで行った。
やはり藤棚がある高台のシロバナタンポポの場所は草刈りの後だった。シロバナタンポポらしきロゼットがぽつぽつと地面に残っていた。
目の前に、何か細々した花が咲いている木の枝が伸びていた。葉を見ると楡の仲間のようで、ムクノキかと思って振り返ってみたら、道の脇に大きく朽ちた木の幹が立っていた。掛けられた札にムクノキとあった。花を見ると小さな手のひらというか星のように、5つに開いている。花をよく見たいと触っていたら数個まとめて取れてしまった。しばらく花を見て、その花を枝に返した。明るい日差しのなかだった。
おおむね毎年訪ねていると思う、ひと気のない土の道沿いにいる山桜。花はないけれど春に来れてよかった。葉が空の光を通してあざやかだった。ぽつんぽつんと、実ができつつあった。
道の記
交差点のチャンチンは赤と緑がそれぞれ薄く交じり合ういちばん不思議な色合いの時だった。私がそこに着く前に若い方が木のほうを見ておられた。
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは去年の茎葉が枯れたまま残っている。その向こうで大きな葉が低くみずみずしく茂り始めていた。
道を歩いているとおたがいに避け合うこともある。
坂道を降りたところの角のシロバナタンポポは咲いていた。
1株だけ出ていたイヌノフグリは枯れてわからなくなっていた。わからないことが申し訳なかった。イヌノフグリとおぼしい茎をひとつひとつ見た。しかしイヌノフグリだけが生えていたのでも枯れたのでもなかったのだった。
ラベル:
イヌノフグリ,
シロバナタンポポ,
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウ,
ヨウシュヤマゴボウ
道の記
キャンパス跡地は建物もほとんどがなくなり、立ち木がところどころだけ残っていた。私が通っていた道沿いでは、松の木が1本残っていた。その脇に、あまり高くない桑の木がいた。花がたくさん咲いている。実ができるだろうか。
以前通ったとき、柵の向こう側のカンナの葉に触れた覚えがあった。カンナの葉にもういちど触れた。カンナは少し狭そうにしていたけれど、葉をまっすぐ上に立てていた。
移植されるはずだったカイノキが枯れたまま残されていた。
門のところのプランターは時を越えて残り続けていくようだった。何かの菊の仲間だったと思う葉も、幼木も、生きていた。
道の記
以前、ここの擁壁から何か出ていたのだったと思いながら差し掛かり、振り返ると、何かの幼木が大きく枝をこちらへ差し出していた。いちど折られたような様子だった。
川沿いを行くと小さな神社があった。その手前で1株、コスモスが咲いている。うれしくも不思議な気持ちになった。もう日がだいぶ傾いていた。コスモスも横から陽を受けていた。
その先では道の川の側にルピナスがぽつぽつ咲いていた。植えられたというより、以前植えられていたその子孫のように見えた。
モウコタンポポは1か所ではやはり今年も出ていなかった。もう1か所では綿毛をだいぶ放ったようだった。いまも作っている。
残された桜はあおあおと茂っていた。上のほうにちらほら花が残っている。よく見ると、歩道側に伸びた枝の下に、ちょうど頭の上になるあたりに、3輪、花が咲いていた。花が照らしてくれていると感じた。幹に触れた。きょうのあたたかさを蓄えていた。
その桜の下でお話しした方のお宅はもうない。空き地にいろいろな草がぱらぱらと茂っていた。手前で、ヒメジョオンが咲いていた。
ヒトツバタゴは花を咲かせていた。街灯に薄く花が照らされていた。白とは違う、少し紫を含んだ色合いで、暗い空に細かく咲いていた。ちょっとだけマスクを外した。香りはわからなかった。
道の記
お家の跡地は家ではなさそうな建造物が造られつつあった。隅のホトケノザたちは数を減らしていた。
横断歩道が中央分離帯を横切るところに以前ヒロハホウキギクなどの秋の草を見た。そこを急いで渡っていると、アキノノゲシを見つけた。緑で、つぼみがついている。この株はきっと冬を越えたのだろう。花がいつか見られるだろうか。
シロバナタンポポが出ている小さな場所に立ち寄った。シロバナタンポポは花が終わっていた。これから綿毛を開きそうな株がいた。近くですみれが大きな花を咲かせていた。
俯いて歩いていたら、目の前に桜の花びらがひらひら降りてきた。見上げると八重桜が立ち並んでいた。いまが満開のようだった。俯いて歩かないでいようと思った。
土手のシロバナタンポポは花が少し咲いていた。他の丈の高い草たちに囲まれながら、花の茎を高く伸ばしていた。
少し向こうの原っぱが一面むらさきに見える。何が咲いているのかここからではわからない。少し先へ行くと、セイヨウヒキヨモギの黄色の花が一面に咲いていた。
シロバナタンポポが出てくる小さな公園の入口で、ここでもアキノノゲシを見つけた。ひとつ、花が咲いたあとがあった。そっと触った。
2020年4月24日
道の記
神社の桜はひとつひとつの木にそれぞれ数輪ずつ、花が残っていた。短い時間、ありがたく眺めた。
とうとう立ち飲み酒屋さんもお休みになった。脇で、今年初めて見る気がするマメカミツレが茂っていた。すでに種子を作っている様子だった。
保育園のこどもたちが帰るところらしい。この角に以前、このあたりではそんなに見なかったオヒシバが出ていたのだった。いまはかわって、ツメクサが小さくぺたっと路面に這うようにして茂っていた。
道の記
以前セイヨウタンポポが出ていた電柱跡。現在はスズメノカタビラが居着いている。あまり大きく伸びないけれどいまも出ている。セイヨウタンポポのこどもらしき株がいたすぐ近くのブロック塀の下では、タチイヌノフグリが昨年も出ていたが、今年は加えてムシクサが出ている。どちらでもタンポポはもういないようだ。
ラベル:
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
タチイヌノフグリ,
ムシクサ
道の記
公園の桜も椿も木蓮も、以前赤テープが巻かれていたけれど、無事のようだった。木蓮がいくらか花を残していた。
小さな切り株の木蓮は芽をいくつか出していた。何度目の再生かわからないけれど、しっかり、と、声を掛けた。
ひさしぶりに飛行機雲を見た気がする。西へ伸びていくところ。ちょうど低い山辺に夕日が降りていく。飛行機はほんのひととききらりと光って、そのまま飛行機雲を伸ばしていった。
工事のフェンスが一部透明になっていて、その向こうがとても狭そうなのだが、先日そこでノゲシが私の背丈近くに伸びているのを見た。きょうもノゲシはそこで街灯に照らされていた。
小公園のコブシはやはり咲いているのだった。あおあおとした葉の合間合間に、ここでも街灯に照らされて白い花が開いている。足元にはここでもウラジロチチコグサが、穂を長く立てていた。
道の記
桜の花が残っているのはやはりうれしい。お家の跡地の桜はもうしばらく咲いていてくれそうだ。
蝋梅のお家は駐車場になっていた。
小さな神社の境内入口にとても小さなナガミヒナゲシがぽつぽつと並んでいた。それぞれとても小さなつぼみをつけていた。
くすのきの公園に立ち寄った。小さな公園だけれどいつものように遊ぶ人でにぎわっていた。山桜だと思う桜はほぼ花を終えていた。若い人たちがボールでサッカーともバスケットボールともつかないゲームを楽しんでいた。
そこまでの道のどこかで何かのわけでチチコグサモドキを見たような覚えがあるが、なぜそのチチコグサモドキが目に留まったのか思い出せない。場所もわからない。
踏切を渡ろうとして脇のみどりに目が行った。くぬぎの幼木。近くの公園から誰かがどんぐりを持ち出して、ここに落としたのだろうか。そのそばでウラジロチチコグサが穂を長く伸ばしていた。
2020年4月17日
道の記
昨秋はエノキグサが並んでいたブロック塀の道。いまはノボロギクが並んで、頭を垂れている。夕日はいまぐらいの時間ならまだ、ここに日差しを届けてくれるようだった。
線路際ではナズナが枯れていた。少し傾いていたけれどナズナの姿をしっかりとどめて立っていた。
小公園のこぶしはあおあおとしていたが、ところどころに白が見えた。いま花が残っているとは思わなかった。その手前でお母さんとこどもさんがふたりきりで遊んでいた。こぶしを見遣って、そのまま道を行った。
町はいつものように見えた。お店の1つ1つは閉じているところも多かったが、それでも人は行き交っていた。帰り道の人も多かったのだろう。
道の記
坂道の歩道にはマンテマが咲き並んでいた。ヒメコバンソウも穂を掲げて立っていた。
草が抜かれて路面に放置してあった。いちょうの切り株からひこばえがたくさん直立して林を作っていた。
枇杷の木がここにいたとは知らないでいた。上から見下ろす枝々に青い実が見えた。
ここの桜はたくさん花が残っている。ここでも梢のあたりはまだ花だけだ。空が薄く青かった。桜となじんでいるようだった。
池のほとりではイヌガラシの仲間の草が立ち並んでいた。桜の花びらがこちら岸へ流れ着いていた。湿地になっているだろうに、ハハコグサが1本、イヌガラシたちのなかに交じって立っていた。すっと立っていた。
道の記
お家の跡地の工事は日中だったが誰もいなかった。敷地の端にはホトケノザがいまも線状に残っていた。
角のノボロギクは枯れていた。綿毛を残したまま頭を垂らしていた。
お家の跡地の桜は花が多く残っていた。残っていてありがたかった。
今年一番に咲き始めたソメイヨシノはだいぶ葉桜になった。梢というか、上のほうの枝では花がいっぱい咲いていた。
枯れたメリケンカルカヤに囲まれたオランダミミナグサはあおあおしていた。他の場所ではオランダミミナグサは色褪せてきている。メリケンカルカヤがずっと守ってくれていたのかもしれない。
ヒメオドリコソウは色褪せていた。咲いているのかどうか道からではわからなかった。
小学校の桜もだいぶ葉桜になっていた。グラウンドの向こうからこどもたちのにぎやかな声が聞こえる。集まっているようだった。グラウンドのこちら側にあるブランコが誰もいないまま4つみんな揺れていた。
道の記
柿の木の駐車場がどの駐車場だったかわからなくなってしまった。少なくともここの駐車場には、奥に木が居る。若葉が出ていた。
マスクをして歩くと集中ができないのか、草木が目に入りづらい。この前の夜にノゲシを見た場所を通り過ぎたかもしれない。それでも歩いていくとたびたび、あのときのノゲシのようなノゲシを道端に見る。このノゲシも同じく生きているのだ。
この時間にこの道を通るのもこの方向へ通るのも初めてかもしれない。公園を突っ切って、ふと気がつくと夜桜だった。葉桜気味だけれど、夜桜。ありがとうと口にしていた。
排水溝のくすのきは無事。
桜の公園が廃止されて5年。残っていたならいまごろは落花さかんだろう。立ち止まって公園のあったあたりを眺めた。いまも桜が見える。夜桜だった。
道の記
中心街の公園は人影がまばら。草を見ていると鳩がやってきた。次々来る。たぶん餌をやる人が来ないのだろう。申し訳ないけれど、両手を広げて何もないのを見せる。続いてすずめがやってきた。
交差点のチャンチンは紅からほんのりと緑に色変わりしつつあるところだった。近年はまわりに人が多くて写真を撮るのも難しかったが、いくらか落ち着いて撮ることができた。
小学校跡は工事がさかんに進められていた。もう桜の位置を思い出すことが難しかった。
坂道のシロバナタンポポはこのごろまで咲いていた様子があった。曇っているためか、花を終えたのか、くしゃっと花を閉じていた。
2世桜は今年はぱらぱらと咲いている。まだつぼみもいくらか残していた。このつぼみが咲くのは見られないだろう。次に来るときには青葉の姿を見せてくれることだろう。
2020年4月10日
道の記
※ 当分のあいだ、数日〜十数日分をまとめて投稿しようと思います。最新の(いちばん上の)投稿でも少し前のことを載せている場合がありえます。
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スーパーマーケット跡地はノボロギクやオランダミミナグサなど春の草が枯れていた。冬を越えた秋の草たちと並んで。この春になって気づいたヒロハホウキギクに少しだけ緑味が残っていた。手を触れて立ち去った。
クサギのトンネルもさまざまな若葉が。実を空へ差し上げていた株も新しい芽を吹いていた。
挿し木の桜も、残された桜も、この春を咲いていた。ところどころだけ、ビルのはざまから差す日に照らされて。
まだ新しい街路樹のふもとで、とても小さな丈で、菜の花が咲いていた。すぐそばの大通りは歩く人も走る車もたくさん行き交っていた。
道の記
公園の十月桜は細かな葉をたくさん出していた。ソメイヨシノも咲きそろった。そして今年いちばん早く花を見せてくれたソメイヨシノは、幹のまわりで若葉を茂らせつつあった。
枯れたメリケンカルカヤの茂りのなかでオランダミミナグサがまっすぐに茎を立てていた。
桜並木は少しばかり人々が行き交っていた。ご親戚一同のように見えるこどもさんを含んだ一団の方々が、桜の1本1本で立ち止まっては枝に触れ、花を横に後ろに写真を撮っておられた。
線路際の工事現場は夜で静かになっていた。もう草の種類が見分けられないが、ナズナのいるあたりに少し疲れたような丈の高い草が見えていた。
閉じたお店はシャッターが新しくなっていた。正面にいたノゲシはなくなっていた。ノゲシが出ていたあたりは隙間があったが、そこにいまも根がいるのかどうかはわからなかった。
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