道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年2月29日
道の記
お店のシャッター前のノゲシは花が増えていた。
中心街交差点のこぶしが咲いていた。この一日二日くらいに咲き始めた感じで、いくつかの花がきれいに開き、たくさんのつぼみが開きかかっていた。雨の街はふだんより少ない人通りで、傘をさしていてもあまり気兼ねせずにこぶしを見ていられた。
チャンチンのひこばえが今年の新芽を出していた。すでに紅から白っぽく色変わりしていた。
振り返って道路脇のノボロギクを見たのを覚えているのだがなぜ振り返ったのか忘れてしまった。その先に見えていた色あざやかな花壇に目移りしたのが申し訳なかったのだったか。ノボロギクは雨に打たれてまっすぐ立っていた。
きょうはお休みらしい小さなお店。角に沈丁花の鉢植えが置いてある。香りを嗅ぎたいと思ってマスクを外して顔を寄せてみたが、香りはわからなかった。後ろをいささかけげんそうに若い方が通り過ぎていった。
ラベル:
コブシ,
ジンチョウゲ,
チャンチン,
ノゲシ,
ノボロギク,
ひこばえ,
花壇の花,
交差点のコブシ,
天神交差点のチャンチン,
閉店したお店の前のノゲシ
2020年2月26日
道の記
魚を捕る簗が立てられている。その上の橋を行く。欄干の下にはすみれが並んで、ぽつぽつと咲いていた。
ヒナギキョウは枯れた花茎をたくさん立てていた。しゃがんでみると、茎の根元に小さな葉がびっしり茂っている。そして、つぼみを見つけた。
ひさしぶりの公園。ヒメオドリコソウ、ヒメウズ、ムラサキケマン、コナスビ、そしてノアザミの花。いずれも今年初めて花を見る。去年見たツワブキの花茎が、綿毛をところどころ残して斜面一面に立ち並んで夕日を浴びていた。知らない鳥のさえずりが聞こえていた。
道の記
カンヒザクラは満開になった。隣の建物が暗い色で、透き通った空とのあいだで明るく明るく咲いている。
道路を広い空き地の側に渡った。最近空き地になったのか、草が少ない。土留め代わりに残されているらしい低いブロック積みに沿って歩いていると、ブロックの向こう側にスノードロップが咲いていた。ちょうど隠れるようにして。
同じ空き地でトキワハゼが少し咲いていた。今年初めて花を見る。
その少し先の小さな空き地では今度はノースポールらしき花が一輪咲いていた。株も小さい。ここが空き地になる前のお家で育てていたのだろう、と思って歩き出すと、隣の区画の建物の前のプランターでノースポールが咲いていた。
道の記
外に出て、景色が強く見えることに驚いた。快晴。この光は冬の光だろうか、春が来たあかしだろうか。
2つ信号のオニタビラコは花が開きかかっていた。4株が計8つの花茎を立てていた。
エノキの切り株の脇にキュウリグサが出ているが、そのもうひとつ脇にムラサキカタバミの葉が出ていた。
空き地のヒロハホウキギクは花がだいぶ少なくなってきたけれど咲いている。この季節を、ふたたび来た秋として生きているのかもしれない。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
エノキ,
オニタビラコ,
スーパーマーケット跡地,
ヒロハホウキギク,
ムラサキカタバミ
2020年2月25日
道の記
人通りの多い小径を、小さな猫が渡って行った。あまりあせっているふうでもない。その猫が出てきた建物の隙間のところに、餌やりは迷惑ですという大きな立て札が立ててあった。
朽ちたチャンチンの木が安置してある植え込みを見てみた。さっきの猫にとてもよく似たおとなの猫が、横たえられているチャンチンの脇でゆっくりしていた。
濃い紫の葉だけれどオニタビラコの葉の形をしている。新しい葉は緑でオニタビラコだ。こういう色になって冬を越えたのか。オニタビラコの知らない姿を知った気がした。長い植え込みのその先へ歩くと、濃い紫の葉をしたアカカタバミらしきカタバミがいっぱい葉を茂らせていた。
工事現場のフェンス下ではイタドリが大きな葉を並べていた。少し先ではイヌビワの幼木がすっかり葉を落として、いくつかの実を残して日差しを浴びていた。芽もしっかり用意しているようだった。
道の記
オニタビラコが満開だった。そう書きたくなるくらい、1株でたくさんの花を咲かせていた。
この前に見た十月桜は引き続き咲いていた。開きかけているつぼみもあった。少し離れたベンチでお休みになっている御年配の方が、桜に近づく私をちらっと見ておられるのが横目に見えた。
オオキバナカタバミが出ていたアパートが無くなっていた。更地に重機のタイヤの跡がいちめん残っていた。
柿の木や唐実桜や梅の木がいた工事中の線路際はとても背の高いナズナが咲いていた。ノボロギクも大きい。そこが日陰になっているせいもあるだろう。少し歩くと、小さなナズナがぽつぽつと咲いていた。
歩いていて風になにかの綿毛が乗ってやってきた。私のブルゾンにまとわりつき、また風で離れていった。なんの綿毛だろう、と考えて、ここはシャッターの前にノゲシがいる閉じたお店の近くだと気づいた。この近くにほかに綿毛を作る草は思い当たらなかった。お店の前に行ってみると、ノゲシは咲いていた。綿毛が少し残っていた。
2020年2月19日
道の記
道路の再整備で街路樹のケヤキが植え替えられてしばらく経つ。しばらく経つけれどもケヤキは以前この街路の上に茂っていた大きなケヤキのようにはまだまだならない。冬姿のケヤキの下にさらに小さなケヤキらしき幼木が出ていた。実から生えてきたのだろうか、と思ってしゃがんで見ていると、そのそばにエノキグサがいた。エノキグサはもう他所では見なくなっている。冬を生き延びているのだ。エノキグサは数株いたが、どの株も小さく、新しい芽は無く、葉は緑を濃くして、こころなしか固くなっているように見えた。
Y字路の右のほうの道が狭くてしあわせそうだったが、行く方向のどのあたりに出るかわからず、左の大きな道を行った。工事中で道端には草もなかった。しばらく歩くと右のほうへ抜ける小径があった。ビルの脇で、立派なプランターにコニファーのような木が小さく立っていた。でももうすぐ信号だった。
その信号手前、工事詰所の脇に、私の腰くらいまで伸びている何かの木がいた。葉があるが種類がわからない。この丈になっているということは、見逃されてきたのだろう。信号が変わる。葉に触れて、そこを立ち去った。日差しがあたたかかった。
再整備された公園の再整備後にまだ行っていないと思い出し、公園に回った。木々が減らされ、がらんとしていた。残されたいくらかの木々のまわりは裸地で、そこに芝生を張ると告知が出ていた。地面にはオランダミミナグサやハコベや、スズメノカタビラだと思う小さな細い葉がところどころに出ていた。以前はそうした草たちが地面に茂っていたのだった。振り返っていまいる草をもういちど見て、公園を後にした。
2020年2月18日
道の記
カンヒザクラが咲いていた。咲くには咲いたものの、この急な冷え込みで咲きかけて止まっているようにも見えた。
古いお屋敷を無くして建てられた低層の高級マンションの外周に、クスノキが植えられていた。ひょっとして以前に敷地内にいた木なのだろうかと思った。クスノキはそこそこ高いけれどもそう太くはなく、まっすぐしていて、幹の中途に忍草が生えていた。クスノキのほかに、樫の木が外周を囲んでいる。そういえばお屋敷の外周も樫の木だった。
切られる予告が出ているイヌマキの木々。切られるというのが信じがたいほど太くそびえ立っている。同じく大きく育ったツバキが高い所で花を咲かせている。イヌマキもツバキも、私の手が届くあたりに枝を下ろしていた。イヌマキの葉に触れた。その感触にイヌマキの全身が籠っている気がした。
道の記
建物の脇の、切られてその切り株に薬の注入痕があった小さなエノキはそれから芽を出さない。そのエノキの切り株のそばに、キュウリグサが出てきた。とても狭い地面に切り株と並んで、切り株に緑のいのちを添えるようにしている。
スーパーマーケット跡地の空き地に細い葉で少し丈がある草がたくさん出ていることに気づいた。あおあおしている。見ていて、昨年秋に切られたヒロハホウキギクだろうと思い至った。花を付けるほどには伸びなかったけれど、いまこうして復活して時を待っているのだろう。ずっと見てきているヒロハホウキギクは咲いている株もあったが、ひとつ、小さな株が枯れていた。この前は生きていたのだった。
そしてアキノノゲシのつぼみはさらに固く閉じているようだった※。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だった。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
ラベル:
アキノノゲシ,
エノキ,
キュウリグサ,
スーパーマーケット跡地,
ヒロハホウキギク
道の記
ビル前の植え込みにいろいろな草花が植えてあり、小さな木も多少植えてある。そのなかに1本、クスノキの幼木がいた。クスノキを植えて育てているようには見えなかった。おそらくほかの草や木にまぎれてここまで生長したのだろう。このくらいの丈のまま、ほかの草や木と同じように世話を受けて生きていくのかもしれない。
2つ信号のオニタビラコは花の茎を高く伸ばしていた。咲く準備はできている様子に見えた。
その2つ信号の手前にすみれがたくさん出ている場所があるが、これまでそこの場所のことをあまり書いていない気がする。バス停があって待つ人が多く、立ち止まりづらいのだ。なので通るときにはたいてい歩きながら横目で様子を見る。すみれはいまは葉だけで過ごしている。たぶんバスを待つ人のなかに、すみれを見ている人もいることだろう。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
クスノキ,
スミレ,
バス停
2020年2月13日
道の記
煉瓦塀のお家は塀も完全に撤去されていた。一帯は広い空き地になっていた。礫が地面に散らばる中、ホトケノザがところどころぽつんぽつんと葉を広げていた。向こうに見える敷地界の隣地の塀の下は緑に見える。きっとそのあたりに、以前からここにいた草たちが、以前とは変わってしまった土地でどのようにか、暮らしを続けているのだろう。
階段のある元飲食店の建物は何かの事務所が入っていた。階段の下はオニタビラコらしきロゼットがいくつか開いていた。
橋から見下ろす川は、空を映しているのかそれともいくらか濁っているのか、にぶい色をしていた。空を見上げると、ほんの1か所だけ、雲が夕焼け色に染まっていた。
神社は梅が香っていた。梅をご覧になりに来られた様子の御夫婦がゆっくりと境内を回っておられる。私も同じようにして別のルートで境内を回る。ひとつひとつの木の花の香りを嗅ぐ。甘い香り、きつい香り、遠い香り。
いつも電車から見ていた境内の公園では、若い人がひとりボールで遊んでいた。大きな大きなくすのきが彼の守護をしているようだった。
しばらく前にスケッチを描いた河川敷の1本の木。そのときは近くに寄らずじまいだった。近くに寄った。小枝に丸い実が残っていた。ふもとはナズナの畑になっていた。ホトケノザ、オオイヌノフグリ。寒く見える日暮れの河川敷だったが、きっともう春だったのだ。
道の記
イヌコウジュは株ごと無くなっていた。根が土から抜けた跡があり、引き抜かれたのだろう。この前に見たときの様子からして、そのあと寒い日が続いたので、引き抜かれたときにはおそらく草のほぼ全体が枯れたようになっていただろうと想像されるけれど、それでも生きていたのではないかと思う。
そして、別の場所では、おそらく昨年花を咲かせることがなかっただろう小さな丈のイヌコウジュが、すべての葉を枯らして細い茎だけになって立っていた。
道の記
スーパーマーケット跡地の空き地は暖かな日差しだった。ノボロギクが躍進した。ヒロハホウキギクは全体がすっかり紫色になって、いくらかの花を咲かせていた。アキノノゲシは花こそ咲かせていなかったが、ヒロハホウキギクと同じく紫になって、暖かな冬を生き延びていた。
この冬は、秋の草たちにこれまでの秋の草たちが体験しなかったような気候を体験させているのかもしれない。そうだとしても、いまを生きているそれぞれの秋の草にとっては、その暮らしがただひとつの暮らしで、ただこの気候を暮らしていく。私はそうした自身の人生の突端を生きていく彼らを道の端から見ているほかない。
自身の人生の突端を生きていく、その事情は誰もがそうなのだろう。
クサギのトンネルのクサギは細い枝の姿になっていた。実を差し上げていた株はその格好で、なおいくらかの実をその枝に残していた。
いろいろな草が壁面に小さく生えている、そのなかに、ヒメウズを見つけた。つい最近どこかでヒメウズが咲いているのを見かけたが、ここでは咲いてはいない。つぼみもできていない。やがて茎を伸ばして、花を咲かせるのだろう。
見守っているのではなく見守られている。そう思った。
2020年2月11日
道の記
このあたりは工事が多い。ときどき立ち寄っていたスーパーマーケットも工事のフェンスに囲われていた。このマーケットの裏手にはスノーフレークだったか何かの花が植えてある小さな植え込みがあった。そこに通りかかると、植え込みは半分ほどがフェンスの中だった。フェンスの外では、おそらくトゲミノキツネノボタンだと思う小さな葉が土を覆っていた。
畑の中の畝と畝とのあいだで猫がこちらをうかがっている。ちょっと目が合ったけれど、見ていないふりをして行くことにした。
この道にも小さなノゲシがぽつんと出ている。きょうも咲いていた。お家の垣根から伸び出た花木や植えられた花々が美しい道だけれど、小さなすみれもいる。草たちが暮らしている、そのとなりを通って行く道。
道の記
バスから見たくぬぎ坂の場所では何か大きな柑橘の実が成っていた。
畑に敷かれたマルチというのか、黒いシートに雨がばさばさ落ちる音がする。畑は作物はなく、いまはマルチが覆っていない所でナズナが作物のように生えて咲いていた。
いつも通る道と一筋だけ違う道に入るとお家の梅が見えた。見事に仕立ててある。その向こうに知らない公園が広がっていた。雨で誰もいなかったが、こどもたちが遊ぶ声が聞こえてきそうな公園だった。公園を横に知らない道を歩いた。知っている道が目の前に見えていた。
2020年2月6日
道の記
陥没から復旧した道路は植樹帯が少なくなった。以前からの植樹帯はヤブランの実がいくらか残っていた。ヤエムグラらしき草も見えた。伐採されたケヤキも切り株のまま残っていた。
お店に入る前、お店の向かいの小公園には猫がいた。人は誰もいず、猫はあくびをしているようだった。お店から出たとき、公園は遊ぶこどもたちでいっぱいだった。猫は見当たらなかった。
舗装し直された歩道のヒメツルソバは見当たらなかった。でもどこか隅のあたりにいるのではないかと思う。
排水溝のくすのきは大過なく過ごしているようだった。もう暗かったので姿だけ見た。
道端に見たことのない葉が見えたので立ち止まってよく見たらノゲシだった。葉がちぢれたようになっていたのだった。ああなんだノゲシか、と思ったのだが、そう思うのでは失礼な気がした。ノゲシは何も言わずに街灯に照らされていた。
2020年2月4日
道の記
ランタナの交差点はオオキバナカタバミがいっぱいだった。フラサバソウも咲いている。ランタナは小さく枝を伸ばし始めていた。
以前田んぼだった駐車場の脇にある花壇は、プリムラが咲いていた。パンジーは少しつかれている様子だった。下のマンネングサは葉がとても小さくなっていた。その姿であと少し、冬をやりすごすのだろう。
伐採木置き場の、横倒しになっているいちょうの切り株から伸びている枝はかなりしっかりしているように見えた。タチスズメノヒエがだいぶ色褪せながら、それでも穂を掲げて立っていた。
行く人の動きにつられて後ろを振り向いた。夕日が山の少し上で大きく光っていた。
道の記
むかしであれば峠だっただろう丘の上の畑の脇にオオイヌノフグリがたくさん咲いていた。丘から眺めると道の先は薄く日が差していた。
また別の畑ではホトケノザとナズナが咲いていた。カラスノエンドウもだいぶ茂っていた。
柿の木と樫の木の跡地はホトケノザなど春の草にまじってイヌホオズキが咲いていた。敷地を出たところではノミノツヅリが花をちらほらと咲かせていた。
アキノノゲシが出ていた小さな駐車場の端の空き地。アキノノゲシはやつれていた。綿毛が残っていて、このごろまで咲いていたのだろう。アキノノゲシのふもとではカラスノエンドウが咲いていた。トゲミノキツネノボタンも明るい花をたくさん咲かせていた。
道の記
建物が取り壊された跡地のほうから、梅の花の香りのような匂いがした。信号を渡るつもりだったがあの跡地に梅が残っていたのかと気になって、渡らずに跡地のほうへ歩いた。跡地に梅はなかった。近くにも見当たらなかった。ホトケノザが咲いていた。
交差点のヒメジョオンは咲いていた。つかれた様子だったが枯れてはいない。すぐとなりにノゲシが出ているのに気づいた。ノゲシはだいぶ傷んでいたが、ノゲシも枯れてはいなかった。
大くすのきの林だった場所は建物が建ちつつある。以前の場所の面影は見つからない。ふと後ろを向くと梅が咲いていた。道を挟んだこちら側の丘にはくすのきはいないようだが、小さなお社があり、桜の木々が植えられている。梅の花は私の背が届かない高さで、大くすのきの林の丘を見つめるように咲いていた。
2020年2月3日
道の記
スーパーマーケット跡地の空き地は、ノボロギクが咲き、ハハコグサらしき葉があちこちから出始めて、春を感じさせるようになってきた。ヒロハホウキギクは全体がすっかり赤みを増して咲き続けていた。アキノノゲシは綿毛をいっぱい作ったようだった。残ったつぼみは固く閉じているように見えた※。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
イヌコウジュは小さな花を数輪残していた。
民芸風の飲食店の跡地は更地になった。以前は草がいろいろ生えていたけれど、いまは端のあたりでノボロギクやハコベが少し出ていた。ノゲシが咲いていた。ホトケノザに見送られて立ち去った。
建物の工事にあわせて街路樹のクロガネモチが幹の途中で切られていた場所では、歩道部分の舗装が直され、クロガネモチの切り株が撤去されたらしく無くなっていた。ちょうどそこの工事の人たちが集まって帰っていくところだった。私はその後ろになった。舗装面だけになっているクロガネモチのいた場所に頭を下げて、私も帰り道を歩いた。
道の記
草を気に掛けて見るようになって今年20年になる。その20年前に草を見始めた頃、ムラサキカタバミが出ていた小さな石垣の場所は、いまもムラサキカタバミがいる。ひさしぶりに通った。この季節なので花は出ていなかったが、葉は石垣の隙間を埋めるように広げていた。
キツネノマゴがいる中心街の公園に立ち寄った。キツネノマゴはもう去年の株が枯れてしまっている時季だが、2株、穂を見つけた。ひとつは色褪せて、もうひとつは赤みを帯びて冬を耐えていた。1株のすぐそばに、ヒナギキョウの小さな株がよれて立っていた。よれてはいたが緑だった。ここに立ち寄ってよかったと思った。
街路樹の切り株の上に工事のコーンが載せてあり、その脇でひこばえが数本伸びていた。ひこばえは芽を付けていて元気そうだった。何の木だろうと思いながら少し歩くと、路面にモミジバフウの葉が落ちていた。
ラベル:
キツネノマゴ,
ひこばえ,
ヒナギキョウ,
ムラサキカタバミ,
ムラサキカタバミの石垣,
モミジバフウ,
街中公園のキツネノマゴ
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