道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
※ ページの下のほうにこのブログの説明・過去記事カレンダー・タグクラウドなどがあります
※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2018年5月30日
道の記
中心街の大通りに面していた桜が撤去されて今年は花が見られなかった。建物も撤去されて広くがらんとしているその場所の端に、桜の枝が出ていた。大人の腰の高さくらいまで伸びて葉を茂らせていた。桜はもう1度ここで生き始めたいにちがいない。跡地では何かの掘削作業が行われているようすだった。
2018年5月27日
道の記
道の脇の空地に、少しだけ幹を残したクロガネモチの伐り株が2つ、やや無造作な感じで横たえてあった。そのうちのひとつの根元の土に、ムラサキカタバミの株が付いていた。花がひとつ咲いていて、つぼみがひとつあった。
街路樹のクロガネモチはその道の各所で点々と撤去されていた。根も掘り上げられてなくなっていた。撤去された区画のひとつの、その隣のクロガネモチのふもとに、伐り屑がうっすらと積もっていた。
道の記
どちらかというとビジネス街の印象があるこの街に、ずいぶん清楚なお召し物のお嬢さんがと思っていたら、道の少し先で同じ白のガザニアがにこにこ咲いていた。
2つ続けて信号がある道のオニタビラコは、風が同じ方向から吹きがちなのか、きょうは全体が片方へ傾いていた。茎はたくさん立っていた。花もつぼみもたくさんあった。その1メートル四方だけ取ったなら、ちょっとした林のようだった。
小径のその一角だけ緑ゆたかに見えていた。種類がわからない洋物の感じの木々が洋風のお店のファサードを森の中のお店の感じに仕立てていた。お店の入り口の真横で、よく育ったオニタビラコがたくさん花を咲かせていた。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
オニタビラコ,
ガザニア
2018年5月26日
道の記
マンションの正面脇にイヌビワの幼木が出ていた。もう少し先の、新しく出来た花壇の脇にもイヌビワがいる。ここはイヌビワ通りだったのだと気付いた。幼木は丈は低いながらも立派な葉を広げていた。
しばらく前に街路樹のクロガネモチが伐られた。そのときは建設工事で車両の出入りの邪魔になるからだったようなのだが、いまそのときの場所の隣で伐採工事が行われていて、それは理由がわからない。クロガネモチが大人の胸の丈ほどで伐られていて、私が通ったときは地中の根を伐っているところだった。
そこに差し掛かる前に見たクロガネモチは、ふもとにエノキの幼木やナガミヒナゲシを従えて、樹冠をやや道路に傾けながらもすこやかに立っていた。
亀が歩いていた。人に踏まれそうに思えたので気を付けるように言うと、私を嫌そうにして、すたすた歩いて近くの茂みにたどりついた。近くの水際でもう一頭の亀が関係なさげに陽を浴びていた。
道の記
あじさいの小径にあじさいが咲き始めた。ペロペロネもにぎやかに咲いていた。
セイヨウタンポポ電柱のそばに出ていたイヌムギが枯れてきた。そのとなりにネズミムギが出ているのに気が付いた。タチイヌノフグリは少し色褪せているがよく伸びている。
2018年5月24日
2018年5月22日
道の記
飲食店跡地は更地になっていた。木のちぎれ根が地面から少し出ていた。アスファルト舗装が一部残っていた。その土地の以前を思わせるものはほかに何も見当たらなかった。歩道との境界にヨモギが小さく生えていた。
2018年5月21日
道の記
公園の入り口にハハコグサが咲いて並んでいた。
電柱ねこじゃらしは早くも穂をのぞかせていた。
タイル舗装の隙間から、となりのツメクサとあまり変わらないくらいの丈で、キュウリグサが短く伸びていた。1度刈られたのかもしれない。その少し先で、そのキュウリグサより少しだけ高いほどの丈のヒメジョオンが花を咲かせていた。
大きな飲食店の建物が解体工事を受けている。手前の植え込みでサツキが咲いていた。植え込みはもっとにぎやかだったはずで、そのサツキは植え込みに残されるのかもしれないと思った。敷地の横が見える位置まで来ると、その植え込みも壊されている途中だった。
道の記
縁石を縁取ってツメクサの緑が並木のように続いていた。
工事現場フェンスの地面際に草の絵が印刷されている。その草の絵を仲間のようにして、ノゲシやオッタチカタバミやオニタビラコが生えていた。その上に大きなてんとうむしが描かれていた。
高架の下に以前は駐輪場があった。そこに発泡スチロールの箱を使ったプランターがあって、アロエの仲間だと思う多肉植物が植えられていた。駐輪場が他所へ移転したが、プランターがなぜかそのまま残された。横を通るたびに気にしていたけれど、金網の向こうだったこともあって、何もしなかった。
しばらくそこを通ることがなく、しばらくぶりに通ったときには、そのアロエは枯れていた。アロエはきょうもそのままでそこにいた。
道の記
セイヨウタンポポの電柱下はスズメノカタビラが枯れ、タチイヌノフグリが伸びている。タチイヌノフグリは花を咲かせるよりは付けた実を育てることのほうに力を注いでいるようだった。
ラベル:
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
タチイヌノフグリ
2018年5月9日
道の記
どこかで伐られた木の伐り株や裁断後の幹がいつも放置気味に積んである場所がある。木はおりおり入れ替わるが、いまは輪切りになったイチョウが置いてある。このあいだ通ったら、横倒しになっている伐り株からところどころ葉が出ていた。根が土に埋まっているわけではない。水が吸えているのかどうかわからない。それでも葉はみずみずしい緑だった。
わたしは生きている。その一念が伝わってくるようだった。
道の記
ノアザミが、わたしも花守の1人ですよと言いたげに大きく育って花を咲かせていた。
大くすのきの林だった場所は、地面の一部に穴が掘られ、ところどころブルーシートが掛けられていた。伐り株は道路から3株見え、2つは勢いよく芽を吹き上げ、もう1つは小さなひこばえを生やしていた。
クスダマツメクサをひさしぶりに見た。よく見ているコメツブツメクサよりたしかに花の穂が大きい。その向こうの小さな土手に、ムラサキツメクサ、そしてシロツメクサと花畑が続いていた。どこもたしかに春だった。
道の記
住宅地の中の空き地の一角。そこに、そこそこ大きなソテツの木がいる。何年か前に初めて見て、忘れがたい印象を持った。ふと思い立って、訪ねてみた。
どうしているだろうかと半ば心配しながら行ったのだけれど、ソテツは変わらずにそこにいた。いちばん上の段の新しい葉だけが残されていて、おりおり手が入っているように見えた。ふもとから新芽も広げていた。
その残されて立っている姿が、どこか神々しく感じられた。頭を下げて立ち去った。
2018年5月5日
道の記(五ヶ山・小川内)
五ヶ山、東小河内の神社の木々はダム湖の水に浸かり始めていた。双眼鏡で見ると、桜やモッコクのいちばん下の枝の少し下まで水が来ていた。地面が水没したため、小さな動物が木に登っていないかと思って枝を細かく見てみたが、わからなかった。
そのすぐ近くの水面間際で、つつじが咲いていた。民家の跡なのだろう。その少し上に、なにか薄紅の花が咲いていた。
東小河内の側から東小河内の木々を見ていると、湖面を風が渡るときにさざ波が立って、日光を反射した白い細かな光がまるで吹雪のように木々に押し寄せてくるのが見えた。悲しいほどに明るかった。
道の記
道端の土に差した木の小枝はもうわからなくなっていた。
もう開いていないお店の前のプランターにいろいろな草が出ていたのが、プランターもなくなった。その位置に、なごりのようにノゲシが育っていた。
丁字路のホウキギクは草取りに遭っていた。まわりの草も高い草はなくなっていて、短い丈の草だけが目こぼしされたように残っていた。ホウキギクはおそらく地下では生きているだろうと思うが、すぐに葉が出てくるのかわからない。秋はまだ遠い。
登録:
投稿 (Atom)