道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2017年9月25日
道の記
ツルボが咲き始めた。今月に入ってから葉が復活し出して、1か月足らずで花までこぎ着けた。その咲き始めた1本の花茎は1度踏まれたようで、途中で折れて、花の穂だけ上を向いている。
伐られた桑の木の伐株に、小さく茶色いひげのようなものがまとまって着いていた。とても小さな木々みたいにして各々のひげがまっすぐに立っていた。指で触れると茶色の粉がくっついた。帰って調べたら、どうも粘菌の一種らしい。むかしそこにあった小さな林の、なごりのような気がする。
2017年9月18日
2017年9月14日
2017年9月13日
2017年9月11日
道の記
歩いてでなく自転車に乗っていてはじめて気付いた道の脇のヒメムカシヨモギ、なくなっていた。その代わりのように、小さなノゲシが伸び出てつぼみを付けていた。
セイヨウタンポポからオヒシバやスズメノカタビラに場所の主が移り変わってきた電柱下、先頃からニシキソウが広がっていたが、そこから1本だけ、オヒシバが出てきた。まだおずおずとしているが、じき、しっかりと穂を開くことだろう。
伐られた電柱ランタナのところからは、エノコログサが出てきた。
公園の隅とも都会の隅とも言えそうな小径の足もとで、イヌコウジュが3本4本並んで、小さな小さな花を咲かせていた。
そして空き地の隅ではコツブキンエノコロの穂が、めいめいの方向へ、それぞれすっくと伸びていた。
2017年9月10日
道の記
ところでクサギのトンネルは葛の花降るトンネルになっていた。
桜の下を通ると黒いつぶつぶが路面に転がっていたので、ああこれは虫がいるなと思って上を見上げて歩いていたら、その虫を踏んでしまった。路面にいるとは思わず申し訳なかった。桜のふもとに置いた。
数日前に、路面で乾いて粉々になりつつあるクマゼミを見つけた。粉々になれば遠からず風に吹かれてなくなるだろうと、拾わずに行こうとしたが、落ち蝉を拾うのはこの夏最後かとも思って、引き返して拾って草の茂みに移した。
しかし今日はニイニイゼミを拾った。いつから路上にいたのだろう。
2017年9月4日
道の記
まちなかでなくもっとたくさんの緑がふつうにある場所で草や木を見ていたら、こんなにまでひとつの草ひとつの木のことでつらい思いや悲しい思いをしなくて済んだのではという気持ちになることがある。
草も木もわたしが見ていようといまいと自分のいる場所自分のいる状況なりの命を生きて死ぬ。誰が見なくてもいいのだ。そう思うかたわらで、まるで呼び出されたかのように、たまたま通った道、たまたま曲がって入った道で、伐られたばかりの木、明日からの工事告知が出ている場所の草に出会ってきた。
そのことを意味付けなくてもいい。ただ自分はそうして草を木を見てきた。そんなことを今夜も考えながら歩いていた。
そのすぐ先で、道から見えていた大クスノキの林がなくなっていた。重機が何台も入っていて、丈の高い切り株もひとつ見えた。その向こうでアークトゥルスが低く輝いていた。
ほかの草が生えられるよう、茂りに茂ったメヒシバをはさみで刈り込んでいたら、指先を切った。それで刈るのををやめて手でむしっていたが、2本が根から抜けてしまった。抜くつもりはなかったが、植え直す手間をとらずに根を下にして置いてきた。
申し訳ないことだったと思う。
そしてそのメヒシバも誰かは見ていたかもしれない。
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