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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2017年8月27日

道の記


小径に入ると、待ってくれていたかのように隣に小さな木がいた。何度か伐られた様子があり、その最後の何度目かで伐るのをあきらめられた様子でもあった。地面近くで樹冠を横に広げていた。


メヒシバが茂るその道向かいはオヒシバの丘だった。


この草は種類がわからない、見たことがないようだけれど何の草だろう、と思いながら急いで通り過ぎた後、どこで見たのかもわからなくなった。


歩けるかぎりは歩きたい。

道の記


つくつくぼうしの声のかたまりのほうへ歩く。

2017年8月26日

道の記


歩いて通っていたときには気づかなかったのに自転車で走っていて道の脇にヒメムカシヨモギがいるのに気づいた。低いところで一度刈られたようで、そこから放射状にいくつも茎が伸びていた。それぞれの先で花が咲き始めていた。


幹周りと言うのかわからないが太さの割には丈の低いシュロも、道の脇に見つけた。そこは今回自転車で通っている以外ではそんなに通らない道。植えられたというよりひとりでに育ってきたのをどなたかお世話しておられる様子に見える。きりっとしていた。


月と木星に向かって飛行機雲が伸びていた。

2017年8月23日

道の記


何年かぶりに自転車に乗った。

と書いてそこまでではないような気がしてきた。それでも1年ぐらいは前と思う。

ゆっくり景色を見る余裕はなかったが、稲穂があたりいっぱいに香っていた。

よく見る山だけれど、ひときわあおかった。

2017年8月20日

道の記



アレチノギクが出ていた電柱のふもとはコマツヨイグサが茂っていた。咲いてはいなかった。


道路付け替えのため廃止された桜の公園の隣の隣が幼稚園だったのだが、ここも工事が入っていた。ここにも正面に大きな桜があったけれど、なくなっていた。重機が休んでいた。


アキノノゲシが出ていた空き地は建物が建つらしい。草が刈られ、工事の掲示とフェンスが立てられていた。隣の空き地でアキノノゲシが高く伸びてつぼみを付けていた※。

※ 文中のアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったかもしれない。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html

道の記


公園再整備工事はそれほど進んでいなかった。ポプラや桜のひこばえはあまり違わないぐらいの丈のアキノエノコログサに取り囲まれていた。


手当てしていた草は地上部がなくなった。これまでの経験から、しばらくは出ないのではないかと思う。まちがえて草刈りに遭うおそれは逆になくなった。これからは多少の実働をしながら、ほかのアプローチを考える。

2017年8月17日

道の記


電柱ランタナは伐られていた。電柱のふもとに細い幹が残っているが、枯れているようにも見え、ここから復活するのかどうかよくわからない。通るたびいつも花が咲いていた印象があり、花も枝もない景色がまぼろしのようだった。


電柱ねこじゃらしはたくさんの穂を立てていた。

2017年8月15日

道の記

手当てをしている草は、復活していた葉がやられてしまっていた。地下部分はだいじょうぶだと思うが様子見を続ける。

2017年8月13日

道の記


たんぽぽがいる道を歩いていて、たんぽぽにしてはずいぶん小さな花だと思って近づいてみたら、茎の丈が手の小指ぐらいしかないオニタビラコの花だった。真夏はオニタビラコの花をあまり見ない気がする。その道を行くとそんな小振りなオニタビラコがぽつぽつと花を咲かせていた。

その次の道にはやはり茎の丈が手の小指ぐらいの、小振りなヒメジョオンが咲いていた。

カニクサが、道の脇のコンクリートの隙間から、小さくまとまってぽつんぽつんと並んで出ていた。コンクリートの隙間を使って鉢植えにしているかのようだった。

そうしたことを見ながら歩いていられたのも道のりの半分ぐらいだった。暑さにやられて、ほうほうのていで戻ってきた。

道の記


むらさきの花咲くコミュニティバス停

2017年8月11日

道の記


台風が来るという前の日だったかと思うが、電車の床にとんぼが落ちていた。乗客の人たちに避けられていた。手に取ると生きていたので連れ出し、駅を出て近くの公園へ連れて行った。左側の翅が1枚しかなく、足も減っていて、飛ぶのも動くのも無理のようで、公園の隅のつわぶきの葉に置いて別れた。


きょうまたその駅で降りた。安置した虫のその後を見ることはふだんしないけれど、きょうは公園に立ち寄った。とんぼはつわぶきの葉の上にはいず、その下で、雨宿りか日よけをするように伏せていた。台風も大風もそこでやり過ごしたのだろう。声を掛けて指で触れたらかさっとした。瞑目して立ち去った。


クサギのトンネルはいちだんと香り立っていた。落ちていた花をひとつつまんだ。その花も香り立っていた。


柳絮の木はなくなっていた。根も取り払われたようで、新しい土が入れてあった。水辺の向こうではイベントが開かれているようで、そちらへ向かう浴衣姿の人たちが夕方の道を歩いていた。


入ったお店で歌が流れていた。ぼくたちの前にこれからもこの自然が変わらずにありますように、と聞こえた。

2017年8月9日

道の記


道の片側のイチョウとモミジバフウの街路樹が昨年撤去されて別の木に取り替えられた道路、今度はもう片側のモミジバフウが全部なくなっていた。おそらく同じことになるのだろう。以前あったお屋敷の豊かな緑もいまは駐車場で、道のイメージがすっかり変わった。

2017年8月6日

道の記


柳絮の木は丈が半分になっていた。撤去札が掛かっていたほかの木はすでになくなって根まで抜かれていて、その木とあと1本の柳の木だけが伐り残されていた。雲に隠れた月のまわりが彩雲のように色あざやかに光っていて、木を向こうから照らしていた。幹から伸びた若い枝葉だけが風に揺れていた。