道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2016年12月31日
2016年12月30日
2016年12月26日
2016年12月25日
道の記
こういう日は風に吹かれるのがしあわせな気がして、川の土手を行った。秋の草刈りからなんとか膝丈まで伸びたセイタカアワダチソウがその高さで咲き揃っていた。さらに少し行くと、もっと小さい10数センチくらいのセイタカアワダチソウがちょこんと咲いていた。
今年の心のクリスマスツリーはそのセイタカアワダチソウ。
10年ぐらい前だったか、空き地にクリスマスツリーみたいな形にヨモギが茂っていた。その頃は、そのヨモギが心のクリスマスツリーだった。同じ空き地に1本のエノコログサが生えていて、そのエノコログサにもなぐさめられた。
ラベル:
エノコログサ,
クリスマスツリー,
セイタカアワダチソウ,
ヨモギ
2016年12月22日
道の記
今年見たいちばんのイチョウ黄葉は1本の街路樹だった。ほかの木々が葉を落とし終わりつつあるなか、その木だけが全身を黄色にして青空に照っていた。学校帰りの中学生たちが、私が見上げているその木を一瞬見上げて行った。
2016年12月18日
道の記
眼鏡を壊した。歩いていて足元の草の種類がぎりぎりわかるかどうか。タチスズメノヒエとかエノコログサなど伸び上がる草はわかる。地面に近いものでもタンポポなどはわかる。でも葉が小さい草はきびしい。
それでも、イヌノフグリが毎年出る場所で、ここにいそうだと思って顔を近付けたらイヌノフグリの本葉が出ていたので、なんとはなしに「見えて」いるのだろう。
川沿いに何か気になる草が見えて、近付いて見たら、ミゾソバだった。花が咲いていた。むかしある機会にこどもたちと一緒に摘み集めて、調理して食べたのを思い出した。
草を食べる話を書くのはちょっと用心したほうがよいのかもしれない。
けっきょく眼鏡は今日新調した。修理は時間もお金も掛かると言われ、やむなく。ひさしぶりに眼鏡なしで歩いて、草や木やいろいろのものものを生身の目で見る見方をあらためて思い起こすきっかけになった。
2016年12月17日
道の記
セイヨウタンポポからオヒシバへと主が変わった電柱下の舗装の隙間、しばらく前にスズメノカタビラが生えてきて、いまは穂を出している。そこから少し離れたブロック塀の下でセイヨウタンポポが花をひとつ咲かせていた。
この時期、イルミネーションのために電線をぐるぐる巻かれている木を見ると、実害があるのかどうか定かに知らないが、なんとも苦しげに見える。今日通った小道から見えた昔ながらのお家では、庭先の小さな裸の木に小さなモールとクリスマスの星飾りが、その木をお祝いするように掛けてあった。
2016年12月14日
道の記
公園で、足元にもみじの実がたくさん落ちていた。あたりを見回すと、すっかり落葉したもみじの木がそばにあった。風が吹いて、実がいっぱい、くるくる回りながら飛び離れていく。実のひとつが私の胸に当たって落ちた。実の飛んでいく合間に、葉がひとつ落ちていった。
風草をひさしぶりに見た。町外れの旧道の道端にまとまって生えていた。白くなっていた。晴れた空に山の木々が色あざやかだった。
風草は漢字で書くのが好き。
2016年12月10日
2016年12月8日
2016年12月5日
2016年12月4日
道の記
桜の切り株から出ていたひこばえが切られていた。一帯の草が刈られていたので、たぶん一緒に切られたのだろう。伐採されて3年になり、切り株そのものもかなり朽ちてきたが、芽を出して伸ばして、切られてもまた芽を吹くことを繰り返して頑張ってきた。
近くに、切られた小枝が放置してあった。緑の葉が残っていた。切り株のところに戻した。次に芽を出すのは春になるだろうか。
ムラサキシジミが路上にいた。拾い上げると足をゆっくり動かした。近くにイヌタデやヘビイチゴが低く咲いていた。そこに移した。さっきは閉じていた翅を小さく広げていた。
2016年12月3日
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