道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2018年6月30日
2018年6月27日
2018年6月25日
2018年6月24日
2018年6月23日
道の記
抜かれて放置されていたねこじゃらしの束を、電柱のふもとに置いた。最初はわずかに土が見えているところに置いて立ち去ったのだが、そこから新しい芽が出てくるのではと気になって、帰りに少しずらして置き直した。
昨日も少しそうしたのだが、公園の歩道にみみずが出て舗装の上で乾いていたのを、動かして木の根元や土がある位置に移した。きょうはたくさんの数だった。自然は自然のままにしておくべきだ、という声がちらっと心に聞こえてきたけれど、それを言うなら、すでに舗装が自然を逸していたのだった。
舗装の小さな石が剥がれていたのも拾って置き直した。しかし石がちょうどおさまる窪みは見当たらず、縁石がほんの少し舗装の高さから飛び出ている、その脇に置き直した。
石さえも帰る所がなかった。
2018年6月22日
2018年6月20日
2018年6月13日
道の記
短い丈のキュウリグサやヒメジョオンが生えていた場所で、今度は短い丈のナズナが咲いているのが見えた。顔を近づけてよく見ると、手が円かった。マメグンバイナズナだった。
ランタナ電柱にはねこじゃらしが葉だけ復活していた。アカカタバミも少しだけ葉が残っていた。
タイル舗装の上でミミズがのたうっていた。鳥がくわえてきたのではないかと思う。このまま人に踏まれてもかわいそうに思い、近くの植え込みの土に移した。ミミズは少し傷を負っていて、なかなかうまく這うことができないように見えたが、積もっている落ち葉のところまで頭がたどり着くと、突然這い方を思い出したようにまっすぐになって、少しずつ落ち葉の下へ潜っていった。
このミミズはこのように何者かにじっと見られていたのは生まれて初めてになるのではないかと、ちらっと思った。
2018年6月10日
道の記
クスノキが伐られた神社に少しひさしぶりに立ち寄ったが、どうも境内が明るい気がするので歩いてみると、大きなクスノキの伐り株があった。前回伐られたクスノキと変わらないぐらいの大きさ。新しく伐られた様子。少し高めの位置で伐ってあり、なぜか、切断面に木の板が打ち付けられて平らにしてあった。板と断面との隙間から薬剤注入の跡が見えた。
その少し先の歩道で、むしられた草が道の真ん中に放置されていた。すぐ隣のアパート駐車場にアイドリングを掛けている車がいたけれど、草を拾い上げて横の土がある所に移した。
町内施設の塀際の草もむしられていた。すみれの葉が散っていた。
道の脇の小さな復活中のクスノキも伐られていた。遠目でわかった。近寄ると、ひこばえを伐られて小さなこぶのような伐り株になっていた。数センチだけ残った枝が1本、緑色をしていた。
街路樹のクロガネモチが伐られている途中だった場所はアスファルトが敷き詰められていた。何もなかったかのようだけれど、そのように舗装されていることがかえって、ここに何かがあったことを示しているとも思った。