道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2019年12月31日
2019年12月27日
notes on the way
Himejoon (Erigeron annuus, "daisy fleabane") at the intersection still has many flowers, looks fine. The flowers seem to be going into the new year.
***
I'm aware that, though I write the articles on this blog only in Japanese, they have many international access. I don't know why, but now try to write something in English this time.
2019年12月24日
道の記
大きな桑の木の場所を教えていただいた。きょうも近くを通ったのだが時間の都合でそちらへ回れなかった。来年訪ねてみよう。来年の楽しみがあると来年が楽しみだ。
お家の門の前にナキリスゲが大きく育っていたそのお家の方が、門のすぐ奥で何かの花を手入れなさっていた。やっぱり草木がお好きな方だったのだ。ナキリスゲも少し葉が色褪せていたが、そこにいた。
ハハコグサの空地は重機が造成をしていた。ハハコグサが生えていたあたりの地面は断面を見せていて、細い木の根や芝の仲間の草の茎が見えていた。
聖夜の木は今年も、細く交じり合う枝に花芽を少し付けていた。この近くの同じ仲間の木とくらべるといつも花が少ないが、次の春もきっと、その木なりの花を咲かせることだろう。
2019年12月23日
2019年12月22日
2019年12月19日
道の記
ひさしぶりの公園はまだ秋の風情だった。林に入ると、木の実が落ちて落葉に当たるぱさぱさという音がひっきりなしに聞こえていた。鳥たちの声もいっぱいだった。
大きないちょうがちょうど色あざやかになっていた。平野は遠く霞んでいた。
池のほとりで、スズメノカタビラが穂を掲げていた。あちこちでいろいろな春の草を見るが、スズメノカタビラの穂はしばらくぶりだ。スズメノカタビラはそこの一帯にかたまって出ている。寄り集まって小さく春をかくまっている様子だった。
その向こうからはなぜか大きな音で演歌が流れていた。こどもたちが帰り始めていた。赤茶に色づいた高いメタセコイアの木の向こうに、日が傾きつつあった。
2019年12月18日
2019年12月9日
道の記
丘の上の小さな雑木林だった場所はどうも一軒家になるような様子だった。建物はすでに建ち、まわりの工事が進められていた。何かのセンダングサが1本、様子を見つめるように立って咲いていた。
この道を行くのもひさしぶりだったし、この方向から行くのはほんとうにひさしぶりだ。向こうの山が夕日にあざやかに照っていた。緑だけでなく冬の紫も見えていた。
クリスマスの小さな飾り付けがされていたお家の納屋が無くなっていた。こどもさんの家を新築するようだ。お家をのぞきこんではいけないので足早に去ったが、敷地の端に古い小さなこいのぼり飾りを巻き付けた、たしかそこにクリスマス飾りも付けていたと思う木組みの枠が立てかけてあった。
蝋梅がきれいに咲く幹線道路沿いのお家が無くなっていた。更地だった。木のちぎれ根が地面のところどころから出ていた。しゃがんで、その1つに触った。何の木かはわからなかった。しなやかだった。
以前大きな木が立っていた駐車場は、大きなマンションに変わっていた。エントランスには数本の木が植栽されていた。あの木のように大きくなれるかどうか考えかけて、やめた。彼らにはきっと彼らの未来があるだろう。
2019年12月4日
道の記
犬のお散歩をなさってよくお目にかかっていた方のお住まいの跡地。いろいろな草が出ていた。いちばん向こうには花が集まっているのが見える。ハナカタバミのような色だった。その手前にオレンジ色のカンナが見えた。
キャンパス跡地は建物の解体が更に進んだ。木々も少なくなっていた。他所に移植されると聞いていた松の木も伐られていた。敷地をのぞき込むと、切り株が残っていた。その上に手鎌のようなものが見えた。雨はもう止みそうになかった。
メタセコイアも、桜も、姿はなかった。
キャンパス外周を歩いた。フェンスの向こう側から小さな菊の種類の花が咲いていた。カンナらしき葉も出ていた。フェンスの向こうはシートで隠されていた。
やはり移植される予定だったのがその前に立ち枯れてしまったカイノキが、その枯れた姿のまま残っていた。
いつも通っていた門の脇になぜか以前からプランターが残されていた。そのプランターの下から、何かの種類の菊が伸び出て、一輪咲いていた。
道の記
いちょう並木が市道の歩道と公開の私有地緑道に挟まれている。市道のほうは落ち葉がそこここに集められていた。公開緑道のほうは路面に葉が散らばったままだった。おかあさんとこどもさんが公開緑道を向こうからやってきた。こどもさんは落ち葉が積もっているところを選ぶようにして歩いてきた。
小学校跡地のエノキはボーリングか何かのような大きな重機を背後にしていた。枝はだいぶ落とされたが、すぐに撤去されるという様子には見えなかった。暗がりの中でしずかに立っていた。
街の大通りに面して、クリスマスマーケット風の小さな出店が出ていて、その前で、特にイベントのようでもなかったのだが、サックスを吹いている方がおられた。信号待ちの人たちが後ろを振り返って見ていた。演奏が終わると、出店の前の立ち飲みのテーブルに1人ついていた御年配の方が、大きな拍手をなさった。サックスは続いて聖者の行進を奏で始めた。信号が変わった。
道の記
中心市街地の交差点の柿の木はみごとに紅葉していた。実もなっていた。今年も元気に過ごしたのだろう。実と葉との違いは日の当たるほうでないとわからないほどだった。
更地にハハコグサが生えていたそのあたりの位置が掘削された。歩道が拡幅されることになる様子。その奥の更地になっている所にハハコグサが生えていた。
街中のクワクサはだいぶ色が褪せていた。葉も少なくなったようだった。人が近くにいたけれど、小さくクワクサに声を掛けてから先を行った。
各所のキツネノマゴも花をほぼ見なくなってきた。三叉路のキツネノマゴも花が終わったかと思って見ていたら、1つだけ穂のてっぺんに花が咲いていた。あいさつをして立ち去った。