道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2019年10月31日
道の記
2つ信号のオニタビラコの場所に、ヒメムカシヨモギが低く出ていた。低いけれどもつぼみをたくさんつけている。秋がしだいに深まってきて、急いだのだろう。
旧クサギのトンネルではクサギの花が少しだけ咲き残っていた。前にぐるっと輪のように咲いていた株は、ぐるっと輪のように実を高く差し上げていた。
思いがけない所でキツネノマゴとイヌコウジュを見て、おかげで少し元気に歩けた。しかし休憩のつもりでベンチや石に座るとそこから動けない。立ち上がると右のほうへからだが動いていく。以前そんなふうにからだが自然と動いたときはそちらのほうに何かあるのかもと思ってそのまま歩いた。きょうもそうしてみたら、からだが右へ右へと旋回して同じ場所をぐるぐる回り始める。広い場所でよかった。もう帰ると決めて帰るしかなかった。
街は仮装の人たちでにぎわい始めていた。いま思うと自分の格好も、その街からしてみたら仮装みたいなものだった。西日は高いビルの窓に跳ね返されて、そちらも太陽と同じくらいまぶしく輝いて道を照らしていた。
2019年10月28日
道の記
遠目に見た学校の榎の木は、枝が落とされていた。校庭の工事はさらに進められているようで、土が掘り返されている地点もあった。
ヒイラギモクセイが香る。見ている中でいちばん花が遅かった木もだいぶ咲き始めてきた。その場所を後にして少し歩くと、また香りが。風でここまで流れてくるのか、それにしても…と思い、ひょっとして近くに別の木が?と思って見回すと、見回すまでもなく隣の木がヒイラギモクセイだった。
カゼクサの場所は草刈りがあったようだ。草の丈がずいぶん低くなった。斜めになっているカゼクサの穂を見つけた。少し歩くと、そのあたりまでは手が回らなかったのか、カゼクサの穂が立ち並んでいた。
十月桜の季節にこの十月桜の場所に来ると、ここの桜を教えてくださった方のことを思い出す。桜は香りなく白く咲いていた。大きく広がる夕暮れの空に桜の色を探した。
帰りに学校の榎を近くで見られる場所へ立ち寄った。すっかり暮れて、榎は影になって立っていた。校舎に寄り掛かるように伸びた榎を支えている大きな支柱。守られながら、守られながらも、榎はいまこのときを高くそびえて生きていた。
2019年10月26日
2019年10月24日
道の記
同じ道を同じ方向へずっと歩いてらっしゃる前の方が、ときどき振り返ってこちらをご覧になる。少しずつ距離が詰まってきた。追いついた。小声で歌ってらっしゃった。
いつも列車から見ていて気になっていた大きな木。ここも自分の足で来るとは思っていなかった。クスノキ。根元近くで二股にほぼ等分に分かれていて、ちょうど北海道豊頃のハルニレのように枝が張り出して垂れ下がっていた。そしてまわりは草原。セイバンモロコシやススキやタチスズメノヒエが穂をなびかせていた。
もともとここの敷地には何か工場のようなものがあった記憶がある。工場が無くなってクスノキが残ったのだと思う。敷地をぐるっと回る。キンモクセイが咲いていた。敷地の角に来るまでクスノキを遠く見て歩いた。
道の記
少しひさしぶりの緑道は、ずいぶん背の高いアキノノゲシが花をいっぱい咲かせていた。
以前ここに来たときは古い木造の小さな建物があって、その向こうに大きな木がいたはずだったが、建物はなくがらんとしていて、木は切り株になっていた。木に近づくと、クスノキだった。ひこばえが出ていたようだがそれも伐られていた。少しだけ葉が残っていた。まわりは舗装のないがらんとした駐車場。切り株の横にはいろいろな草が生えていた。ホトケノザの葉も出ていた。
コスモスは今年は種まきができなかったそうだ。コスモス畑になるはずだった敷地の隅で、ヨメナが明るく咲いていた。
どこかの道ではホトケノザが咲いているのを見た。ああここでは咲いているのかと思った。今季初めて見る花。しかしもうどこだったかが思い出せない。
2019年10月21日
2019年10月18日
2019年10月17日
道の記
以前立ち寄ったうどん屋さんが取り壊し工事のさなかだった。
この道もしばらく通らないだろう、と思いながら、以前モウコタンポポを見た遊歩道に入った。モウコタンポポは少し咲いていた。いつものように手を振った。
キツネノマゴの公園は、キツネノマゴでいっぱいだった。おかげで少し元気をもらえた。すでにここまでにかなり歩いたが、もう少し歩ける気がした。
とても高いワシントンパームだった。だいぶむかし1度立ち寄った公園。この公園で何か大きな木を見たことがあるような気がしていたのだった。夕方になっていたが、こどもたちと親御さんたちが連休最後の日を惜しむように遊んでいた。
道の記
サクラタデという名前は知っていたが、こんなに桜だとは思っていなかった。
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、片側は事業所の建物の工事が終わりに近づいていた。ボタンクサギが出ていた場所は塀が建っていた。塀にスリットがあり、そのスリットの所は地面があるようだった。砂利が見えていた。
山の呼び声は聞こえなかった。
交差点の角では鶏頭が1株、赤く咲いていた。彼岸花は花を終えた茎がしんと立っていた。
お家の前の道端のカンナは葉が出ていた。カンナを育てているのかどうかはわからなくなってしまったが、葉はあおあおとして元気そうだった。
田んぼを望む道端のコスモスはなくなっていた。田んぼは半分ほどがコスモスの葉でいっぱいになっていた。残る半分では刈られた稲が次の穂を実らせていた。
2019年10月16日
道の記
エノキグサがひさしぶりの街の道で迎えてくれた。
古いお家が建っていた場所が、ほぼ更地になっていた。敷地内はまだ取り壊し工事が続いているようで、外の煉瓦塀が残っていた。この煉瓦塀だけが残される可能性もあるのかもしれないが、ここに何か新しく建つなら大きなマンションだ。煉瓦塀は時の流れを従えてしずかに居残っていた。
閉店した飲食店の階段手前には、スゲの仲間らしき葉が少し出ていた。しばし見ていたが種類が分からず、歩き出すと、すぐ近くにヒメクグが小さく生えて穂をつけていた。
水際で白鳥が何か地面あたりをつついて食べていた。こどもたちが寄っている。白鳥はこどもたちからえさをもらっているようだが、近づきすぎると首をしゃっと突き出して攻撃していた。えさをくれるなら攻撃しなければいいのに、と思ったが、何か別の考え方なのだろう。さらにこどもたちがやってきた。
商店街の中の空き店舗が取り壊されていろいろな花が植えられたり草が生えたりしていた小さな緑の場所があったのだが、砂利が敷かれて駐車場みたいになっていた。敷地の向こうに、大通りのベンチに掛けて何か食べているようすの方々が見えていた。
道の記
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはだいぶ実が熟してきたようだった。
大きな道路の交差点の監視カメラの上に、カラスがとまっていた。交差点の車を見下ろしていた。
いつもと違う道で帰ろうと思っていたが、そちらへ行く信号が2つ続けて直前で赤になり、これはいつもの道に何かあるのかと思って、いつもの道に戻った。
ヒロハホウキギクやアキノノゲシの空き地に土砂が入れられていた。草は少しだけ土からのぞいていた。
しばらく使われていなかった、民芸酒場風の空き店舗が取り壊されている途中だった。敷地の端のほうにたしかイノコヅチなどの草が茂っていたのだった。夜なので重機がそのまま置いてあり、壊れかけの建物が瓦礫になりながら半分残っていた。草の姿は見えなかった。