道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2018年2月26日
2018年2月22日
2018年2月20日
道の記
治療を受けている古木いちょうがいる屋敷跡は、いまマンションの建設工事をしている。対岸から見たらすでに高い建物ができていて、正面横のいちょうが建物の下で小さく見えた。絵本『ちいさいおうち』の絵のようだった。
中心街の大通りに面していた桜がなくなっていた。いま一帯が造り替えられようとしているところで、隣の建物も解体されて広々としていた。春、花の散る頃に通ると、人通りの多い歩道の上を花が舞っていた。その景色が、いま目の前にあるがらんとした広がりよりも自分の手前にあるように思えた。
咲きかけのさざんかの木が置かれていた更地は駐車場になるようだった。工事が進められているその奥に、色の褪せたさざんかの木とほかの木々がまとめて横たえられていた。
2018年2月13日
2018年2月12日
道の記
高い建物の上の給水塔のようなところから、からすが飛び立った。あとに何か鳥のようにも見える黒いものが残っている。からすだろうかと思ってしばらく見ていたが、遠くて、動いているのかどうかもよくわからなかった。幼木かもしれない。さっきのからすはそこで何をしていたのだろう。気が付くと、給水塔の真下に別のからすが1羽、ずっと留まっていた。
震える寒さになった。自動販売機でココアを買って飲んでいて、そこの庇の上からスズメノカタビラが出ているのが見えた。穂も出ていた。
公園で草探しをしていてこどもたちから声を掛けられた。近くの草を差して、こっちはアメリカフウロ、そっちはオランダミミナグサ…と話したら、すかさず、こんなにいろいろ名前を知っているなんてすごい、と言われた。ひさしぶりにこどもさんから誉められてうれしかった。
この前ここを訪ねたのは何年前だったか、そのときには伐られてまもなかったように覚えている大きな伐り株。時が経って、すっかりしずかになっていた。あちらの伐り株には小さな荷物が置かれて、おとうさんと女の子がゆっくりとおにごっこをしていた。
小学校は広々とした空き地になっていた。真ん中あたりに地面をそのまま活かした花壇が造られているほかは、あまり手を入れられていないように見えた。菜の花のように見える小さな葉が1列2列並んでいた。いろいろないろいろな春の草がところどころで同じく小さな葉を広げていた。さっきまでちらついていた小雪は、日差しにかわっていた。
2018年2月7日
2018年2月5日
道の記
いまが寒さの底だろうと思う。あるところではイノコヅチが枯れて穂を高く差し上げているのを見た。あるところではイノコヅチはしおれながらもなお緑を残していた。となりの皇帝ダリアもそうしていた。
切り開かれた竹林の向かい側の同じく重機が入っていた小さな雑木林も造成が終わっていた。その区画の端に木々が並んでいた。手前の木は工事中のときに根元が掘削されていた木のように見えた。敷地内移植されたのだろう。木々の向こうから吹き上げてくる風はまだ冷たかった。
大くすのき林にはさらにいくらか工事の手が入ったように見えた。丘の奥のほうで、芽のない伐り株がなにかの建造物のように厳かに空に立っていた。