スーパーマーケット跡地の空き地は暖かな日差しだった。ノボロギクが躍進した。ヒロハホウキギクは全体がすっかり紫色になって、いくらかの花を咲かせていた。アキノノゲシは花こそ咲かせていなかったが、ヒロハホウキギクと同じく紫になって、暖かな冬を生き延びていた。
この冬は、秋の草たちにこれまでの秋の草たちが体験しなかったような気候を体験させているのかもしれない。そうだとしても、いまを生きているそれぞれの秋の草にとっては、その暮らしがただひとつの暮らしで、ただこの気候を暮らしていく。私はそうした自身の人生の突端を生きていく彼らを道の端から見ているほかない。
自身の人生の突端を生きていく、その事情は誰もがそうなのだろう。
クサギのトンネルのクサギは細い枝の姿になっていた。実を差し上げていた株はその格好で、なおいくらかの実をその枝に残していた。
いろいろな草が壁面に小さく生えている、そのなかに、ヒメウズを見つけた。つい最近どこかでヒメウズが咲いているのを見かけたが、ここでは咲いてはいない。つぼみもできていない。やがて茎を伸ばして、花を咲かせるのだろう。
見守っているのではなく見守られている。そう思った。
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