道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2019年7月30日
道の記
クサギのトンネルだった場所に差し掛かる直前に、クサギの香りがした。もう夜だったので灯りを付けていたが、その灯りでクサギの花が歩道の路面脇に落ちているのが見えた。見上げると、高いコンクリート擁壁の上に、伐採を免れたクサギらしき木々が並んでいて、花を付けているのが暗がりの中ぼんやりと見えた。その視野の中で、空を明るい点光がかすめた。イリジウム人工衛星のようだった。
猫が有料駐車場のまんなかで向こうを向いてべたっとしていた。茶色の猫で、白色の灯りに照らされて、駐車場の黄色の線とほとんど区別がつかなかった。
ほかの場所ではオニタビラコを見かけたが、2つ信号のオニタビラコの場所ではオニタビラコは出ていないようだった。エノコログサが車のライトや街の灯りを受けていた。
道の記
ホリホックは花が終わっていた。ありがとう、と言いながら花を咲かせていた茎にさわった。そうしていたら、低い茎にひとつ花が咲いていた。電柱のアース線というのか、その陰になっていて気づくのが遅れた。花は陰に向かって咲いていた。
山はやっぱり呼んでいるようだった。あの懐かしく見える山はしかしまだ3回しか登ったことがないと、思い出を数えて思った。思い出はぜんぶこどものころの遠い思い出だったが、きょうもあのころの自分のような誰かがその山に登っているという気がした。
道の脇のカンナは咲いていた。もうこのお家はカンナを咲かせるつもりがないのかと心配していた。カンナの花を見られて、ここまで歩いた甲斐があったと感じた。
ときどき花畑になる田んぼは今年は田んぼになっている。その田んぼの手前の歩道脇に、低い丈のコスモスが2輪咲いていた。田んぼの稲はまだこれからだった。
道の記
旧国道沿いの大きなお店の駐車場の端で、女性の方が何か言っておられた。歩いているうちに、こどもさんが見えてきた。そのこどもさんに、ばったもおらんね、と話しかけておられる。アキノエノコログサらしき草が敷地の隅にちいさな野原を作っていた。
アキノエノコログサはその先で株立ちになってたくさんの穂を放射状に付けていた。このかたちのアキノノゲシはちょっとめずらしいな、と思っていたら、すぐとなりに、タチスズメノヒエがまるっきり同じ角度でたくさんの穂を放射状に広げていた。
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は構造物が大きくなった。歩道植え込みのくすのきはまた少し伸びてきた。敷地界にヨウシュヤマゴボウが生えていた。花を咲かせ始めたばかりのようだった。キカラスウリやセイバンモロコシもいた。わずかの隙間に草たちが茂みを作り始めていた。
その様子を見ながら先へ行こうとすると、隣の大きなお家があとかたもなくなっていた。高いコンクリート擁壁の上にいろいろな木々が植えてあって、下によく実が落ちていたのだった。しかし木々もまったくなくなってしまったように見えた。そして、落ちていたのも何の実だったかもう思い出せなかった。
2019年7月29日
2019年7月26日
道の記
以前マンションの植え込みにたくさんのすみれを見つけたその通りは、歩いていると道端のあちこちにすみれが出ていて、すみれ通りだったのだとだんだんわかってきた。きょうもすみれをたくさん見た。花は咲いていない。それからヨツバハコベも少し出ていた。
以前ポプラが並んでいた再整備公園の外れに残っているエノキとセンダンの小さな木の下で、芙蓉が花を咲かせていた。
疲れていたが、少し遠回りをして、マンション前の電柱のところを通った。あさがおがいるはずだった。以前あさがおを見た電柱のふもとには出ていなかった。そのすぐそばの、ガードレール支柱の脇から、つるが伸び出ていた。つるは短くて花はしぼんでいたが、元気そうだった。
小さな交差点の角に、手向け花を見つけたのは何年前だったか。名前がひらがなで書かれた小さな石と、小さな花瓶が置かれていて、そこに花があげてあった。通るたびに新しい花があげてあるのを見ていた。この1年ほど、花を見なくなった。何かの周年が過ぎたのだろう。きょうも花瓶は空いていた。交差点を渡ると、そこの電柱のふもとで、すみれが花を終えていた。
2019年7月25日
道の記
木造の昔ながらのお家が無くなって更地になっていた。駐車場になる様子。塀や垣根がなく、つわぶきが道の脇で咲いていたのだった。砂利が一面に敷かれた敷地の隅にいくらかの草が生き残っていた。
しばらくぶりに通った電柱ランタナはあれからまた伐られたのか、近づくまで何の緑も見えなかった。そばに来てみると、とても小さな葉が数枚出ていた。
電柱ねこじゃらしは絶えたままだった。その近くのマンションの表玄関の植え込みの陰に、ねこじゃらしがちらっと見えていた。
草が生えている街のほうがいい。そう思いながら歩道を歩いていると、すぐ先の駐車場の入口のブロック塀の脇から、ハゼランが花をそっと出していた。その入口に差し掛かって横を見ると、ハゼランが塀沿いに並んで細い花畑をつくっていた。
2019年7月22日
道の記
柿の木や唐実桜のいた線路脇は構造物と砂利とでほぼ占められていた。その脇にノゲシらしき葉がいくらか出ていた。
桜が撤去されて新しい木が植えられて5年。地面から、ひざの丈ほどの桜の芽がすっくと伸びていた。近くの桜の木の根から出てきたのだと思うが、一瞬、あのむかしの木のことを思った。
ヒメオドリコソウの場所に差し掛かったが、そこのヒメオドリコソウを今年見た記憶がない。今年はその時期にここを通らなかったのか、通ったときに忘れていたのか。もう生え残っている時期ではない。ヒメオドリコソウではなくエノコログサが明るく並んでいた。
かろうじて彩雲になった青白いさざなみの雲。その手前の、大きく伸び上がってかすかに橙に照らされている積乱雲。先へと続く道。梅雨も終わりそうだ。
2019年7月16日
道の記
作業着の方が自動販売機で飲み物を買っていた。このあたりで新築工事があったかなと思いながら道を行くと、駐車場になっている空き地の草が刈り倒されていた。駐車場の入口にひさかきだと思う小さな木がいて、きのう見たときはなぜか葉が無くなってしまっていて下のほうだけ新芽が出ていた。その木のところは何も刈られていなかった。駐車場の端でエノコログサが少しだけ残って、穂を掲げていた。
交差点のランタナも刈られていた。育てられているのではないようだ。でも新芽がたくさん出ていた。じき、茂り始めることだろう。
ここでかがみ込むと後ろに並ぶお家のどこかから見られているかもしれないと思いつつ、工場のフェンスの下のトウバナをかがんで見る。花穂がけっこう高い。このあたりのトウバナとしてはよく伸びている。見終えて立ち去るときには後ろのことはすっかり忘れていた。
2019年7月14日
道の記
柿の木や樫の木の切り株は元気に葉を茂らせていた。まわりの草がばっさり刈り取られたようだが、切り株そのものには手を出していないように見えた。柿の木は若い芽を付けていた。
足元にイヌビワの実がたくさん落ちていた。上は擁壁になっていて、その上にいろいろな木がこぢんまりと生えている。見上げたがそのときはイヌビワの木を見つけられなかった。帰りにふたたび見上げたら、すぐ上にやや大きめのイヌビワの木がいた。さっきいなかったはずはないので、私がやはり植物を見分けづらくなってきているのだろう。イヌビワは毅然とも平然とも言えそうな風情で樹冠を張り出していた。