道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2018年7月30日
2018年7月28日
道の記
この春に公園再整備工事は終わったはずだが、昨年秋を最後にその公園にまったく行っていなかった。もとは大きな木々があった公園だったが、トウカエデ1本を残して細い新樹がところどころ植えてある、広く見渡しのよい公園になっていた。誰もいなかった。とても暑かった。
以前ポプラがそびえていたあたりはもとは斜面だったが、高さが変えられて歩道になっていた。ポプラが地中から出ているのではないかとほんのわずかに思っていたのだけれど、草刈りが入ったばかりのようで、新しく植えてあるもの以外には何も伸びていなかった。ポプラの木の香りがかすかにするような気がしたが、植え込みに敷いてある木材チップの香りかもしれなかった。
残されたトウカエデもだいぶ枝を落とされたように見えた。以前の公園には大きなクスノキがまんなかに鎮座していて、こどもたちがその木陰で遊んでいた。あのときの景色のほうが、いまの無人の光景よりも自分の近くにあるように思えた。
2018年7月25日
2018年7月24日
2018年7月21日
道の記(久留米)
久留米の筑後川を訪ねた。昨年の水害の後も行ったけれど今年も河川敷が水没したようで、粒子の細かい土が積もり、竹や材木やあまり大きくない生木が流れのよどみだったらしき場所に溜まっていた。
以前ときどき河川敷の公園に寄り、けやきの下で少し時間を過ごしていた。けやきはその後調子が悪くなっていたが、ひさしぶりに行ってみたら葉が出ていなかった。根元に川草が土塊ごと絡んで枯れていた。その土から何かの草の双葉と何かの草の一枚子葉が芽生えていた。
河川敷の遊歩道を歩いていると、手のひらを広げたぐらいの大きさの丸い物が乾いた泥の路面にあった。そっとつつくとゴムボールだった。青地で土にまみれて少し空気が抜けていた。どこのこどもさんと遊んでいたボールだろう。ボールはそれ以上何も語らなかった。そこにあったままにした。
水害の前に薬品流入か何かで魚が死んだと聞いた池町川も訪ねた。まちは夜市でにぎわっていた。そのまちのあまりにぎやかではない側を池町川は流れる。川をのぞきながら歩いた。ハヤがちらっと見えた。その先に鯉がいた。魚はだいぶ少ない印象を受けた。川を見ながら歩く大人の方やこどもさんを見かけた。
公園にある昭和28年水害の碑も訪ねた。近くの水場ではこどもたちの歓声がしていた。やがて日が傾いて公園が静かになった。いろいろな種類の雲がいかにも夏色な空にそれぞれに陣取っていた。碑はいつもと変わらずに、そのときの水位の高さを自分の丈で示しながら空にそびえていた。
2018年7月19日
道の記
開発中の大くすのき林の場所は多くの重機が出て丘の掘削が進められていた。以前手前に見えていたくすのきの伐り株のあたりはすでに平らになっていた。丘の最上部だけが残っていてそこに伐り株や草がわずかに見えた。
歩道との境に、以前大きく茂っていたボタンクサギが小さくなって花を咲かせていた。離れたところにくすのきだと思う枝や根が少し集められていた。そこからなのかわからなかったがかすかに、くすのきの香りがした。呼ばれたのだと思った。
田んぼで稲が風にさやさや鳴っていた。それを聞いて先へ歩くと、隣のお家の前になぜか稲が1本、根から抜かれて横たわっていて、そのお家の車がその稲を踏んで出かけていった。抜かれた理由があったのかもしれないがと思いつつ、田んぼの畦に稲を安置した。
行きも帰りも行く手の信号が次々赤になるので、道のあちら側から何かが呼んでいるのか、と思い、道の反対側へ渡った。何か見られるのだろうかと思いながら歩道を歩き出してすぐ、路面にアゲハを見つけた。乾いて路面に張り付いていた。ていねいに剥がして植え込みの下へ移した。
(この日はほかにも歩道を横断中の芋虫や、乾いたミミズ、そして最後にはアブラゼミを場所移しした。アブラゼミは生きていて、近くの公園の桜に移した)
帰りにも大くすのき林の横を通った。ボタンクサギとアレチハナガサとヤナギハナガサの花々が同じ色合いの夕空に並んでいた。くすのきの香りはもうしなかった。
2018年7月15日
道の記
オフィス街にあった公園が再整備されたという話を聞いていた。以前通ったときはたくさんの木が茂っていて、街の中の森だった。たまたま近くまで来たので、再整備後を見てみようと思い、足を向けた。がらんとしたグラウンド状の空間になっていた。どうも観光バスの駐車場みたいなものになったらしい。その周囲に、ぱらぱらと若い木々が植えられ、片隅に以前からの木らしきケヤキが樹冠を広げていた。
グラウンドは陽に照らしつけられていた。アレチノギクやチチコグサモドキがぽつぽつと生えていた。
草を見始めた道をひさしぶりに歩いた。当時のなごりはほんとうに少なくなった。ツイッターのアイコンに使っている広い空き地の草を写した写真の場所は、その後しばらく空き地が続き、アレチハナガサが咲いていたが、やがて駐車場になり、いまはマンションが建っている。写真に写っている草も、アレチハナガサも、その子孫は近くに見当たらない。
ちょうどその場所でむかし、写真を撮っていて通りがかりのご高齢の方から声を掛けていただいた。楽しく話をしてくださり、パンまでいただいた。その方とはそこで二三度お会いした。そこに長く立ち止まっていたらいつかまたお目にかかれるのではとも思うが、いまでは立ち止まっていたら通報されそうな場所になってしまった。
ほんのすこし立ち止まって、アイコン写真のように空を見上げた。マンションの黒っぽい壁が一面に広がっていた。
道の記
砂利敷の広い空き地にヒメヒオウギズイセンがぽつんと咲いていた。
この前取り壊された旧家の跡地の横を通りかかったとき、その敷地の向こうのほうに猫が入ってきたのが見えた。この前はここにカラスがいたのだった。猫はここで何をするのだろうと思っていたら、すぐに腹を上に向けてごろごろと寝転がり始めた。
公園の入口で蝉の幼虫が踏まれたらしく路面で動かなくなっていた。そのそばにも同じように動かない幼虫がいた。近くに、木の幹を見ているこどもさんとお母さんの姿が見えた。蝉の幼虫を探しているのではと思った。路面の幼虫を植え込みの茂みの下に移してさっと立ち去った。
繁華街の狭い通りはいつものように人が行き交っていた。あかあかと店の照明や看板が光る中、小さな植え込みで丈の低いサルスベリがほの赤く咲いていた。
2018年7月14日
道の記
学校の隅に大きな桐の木が立っていた。そこから少し離れた道のそばに、どこから出ているのかよくわからない若い桐の木が張り出していた。そこから見える学校の桐の木と呼び交っているようだった。
この雲はうろこ雲だろうかそれともひつじ雲だろうか…と思いながら歩いていて、作業姿の方々が塀に絵を描いているところに行き合わせた。こどもたちがいろいろな乗り物に乗っている絵。幼稚園の塀だった。園のこどもたちがきょう帰るとき、わあ、と声を上げて通っていくだろうなと思った。
あちこちでオオアレチノギクやセイタカアワダチソウなどの草たちがしおれていた。しばらく前から街路樹のいちょうの伐採が進められている道で、いちょうの伐り株の脇から伸び出たひこばえとそのまわりのオオアレチノギクが、同じように丸まっていっしょに雨を待っていた。
2018年7月13日
2018年7月10日
道の記
ルリタテハが路面にとまっていたので写真に撮った。広い歩道も多少の人通りがあり、人が来るたびに逃げるけれど、戻ってくる。何度目かのときに戻ってこなかった。あたりを見回したら自分の肩にとまっていた。
その先の路面に泥が流れた跡があった。酸えた匂いがした。種類がわからない蝶の翅が落ちていた。
※ 蝶の翅を写真に撮って後で図鑑と照らし合わせたところ、ゴマダラチョウの右側の後翅のようだった。
空に夕焼け光線の赤い跡があった。見つけてすぐに見えなくなった。
道の脇にキツネノマゴの幼苗を見つけた。本葉が一対出ていた。花が咲くのはずいぶん先のことのようにいまは思える。
2018年7月9日
道の記
長かった雨が終わったと思った。歩くとあたりをまだ細かい雨粒が満たしていた。
中心街の交差点で信号を待っているあいだ、横にある花壇とその下を見ていた。花壇と路面との隙間にクワクサのような草やカタバミなどが出ていたが、その中のいくらかが引き抜かれて散らばっていた。背後で何人も信号を待っている様子で、さすがにここで屈み込むのはおかしいかと思ったが、気が付くと屈み込んで、抜かれた草を拾っていた。もともとその草たちが生えていただろう隙間のところにひとつひとつ寄せた。花壇の中にもクワクサのような草がいて、小さな花を付けていた。
また降り出した雨のしぶきの下で、カンサイタンポポが花を開いていた。春の夢を見ているようだった。
そして雨が終わった。