道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2017年9月25日
2017年9月18日
2017年9月14日
2017年9月11日
道の記
歩いてでなく自転車に乗っていてはじめて気付いた道の脇のヒメムカシヨモギ、なくなっていた。その代わりのように、小さなノゲシが伸び出てつぼみを付けていた。
セイヨウタンポポからオヒシバやスズメノカタビラに場所の主が移り変わってきた電柱下、先頃からニシキソウが広がっていたが、そこから1本だけ、オヒシバが出てきた。まだおずおずとしているが、じき、しっかりと穂を開くことだろう。
伐られた電柱ランタナのところからは、エノコログサが出てきた。
公園の隅とも都会の隅とも言えそうな小径の足もとで、イヌコウジュが3本4本並んで、小さな小さな花を咲かせていた。
そして空き地の隅ではコツブキンエノコロの穂が、めいめいの方向へ、それぞれすっくと伸びていた。
2017年9月10日
2017年9月4日
道の記
まちなかでなくもっとたくさんの緑がふつうにある場所で草や木を見ていたら、こんなにまでひとつの草ひとつの木のことでつらい思いや悲しい思いをしなくて済んだのではという気持ちになることがある。
草も木もわたしが見ていようといまいと自分のいる場所自分のいる状況なりの命を生きて死ぬ。誰が見なくてもいいのだ。そう思うかたわらで、まるで呼び出されたかのように、たまたま通った道、たまたま曲がって入った道で、伐られたばかりの木、明日からの工事告知が出ている場所の草に出会ってきた。
そのことを意味付けなくてもいい。ただ自分はそうして草を木を見てきた。そんなことを今夜も考えながら歩いていた。
そのすぐ先で、道から見えていた大クスノキの林がなくなっていた。重機が何台も入っていて、丈の高い切り株もひとつ見えた。その向こうでアークトゥルスが低く輝いていた。
ほかの草が生えられるよう、茂りに茂ったメヒシバをはさみで刈り込んでいたら、指先を切った。それで刈るのををやめて手でむしっていたが、2本が根から抜けてしまった。抜くつもりはなかったが、植え直す手間をとらずに根を下にして置いてきた。
申し訳ないことだったと思う。
そしてそのメヒシバも誰かは見ていたかもしれない。