道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2018年8月31日
2018年8月29日
道の記
ホリホックが切られて丈が低くなっていた。こんどはケイトウが花の用意をしていた。ホリホック今年も花を見せてくれてありがとう。ケイトウ今年もよろしく。
稲穂の香りがした。昨年この香りがしていた頃は自分にはたいへんな時期だった。1年が経って、今年もいくらかたいへんだったけれどもなんとか乗り越えられそうだと感じた。稲穂はすでに色づいていた。
遠くに山が見えるほうの大クスノキ林だった場所は、このまえ横を通ったときからさらに丘が削られていた。ボタンクサギの花は終わりつつあった。横を歩いていて一瞬だけ1か所で、樟の香りがかすかにした。あいさつをもらったと思った。
2018年8月25日
道の記
蝉を拾い上げるのはその日3度目だった。最初は駅のホームの点字ブロックの上にいた。手に掴まらせたものの近くに緑がなく、駅を出て木々を探しているうちに自分から飛び立って行った。その次は歩道の上だった。蝉はもう乾いていた。すぐ近くに街路樹が立っていたがそのふもとは裸の地面だった。暑そうだったがそこに安置した。3度目は、歩道の排水溝の網に挟まっていた。自分から入れるような隙間ではなく、力で押し込まれたようでもあった。そこから取り上げて近くの草の茂みに移した。
そのようすを横で御婦人がご覧になっていたようで、声を掛けてこられた。その方は、私も虫を見つけたらそうしている、とおっしゃった。中にはわざわざ踏んでいったりする人もいるけれど、あなたが蝉を移してくれてうれしい、そうおっしゃってくださった。私からはあまり言葉が出てこず、失礼してしまった。
街路樹のクロガネモチがいた植え枡は、かわりにアキノエノコログサとオヒシバが小さな緑をつくっていた。一帯の工事は止まっているように見えた。
2018年8月10日
道の記
昔、春の浅い頃、木を見上げながら、欅の細枝が好きというつぶやきを聞いた。十何年ぶりにその木に近寄って見上げた。榎の木だった。解き放たれた気がした。
道の先に、シャボン玉を吹きながら歩いている人が見えた。シャボン玉がここまで流れてくる。同じ方向へ歩いていてその人はときどき立ち止まってシャボン玉を吹くのだけれども私は追いつけず、だんだんとその人が遠くなり、シャボン玉もここまで届かなくなった。その人は突き当たりを右へ曲がっていった。私はいちど立ち止まって左へ曲がった。
大きなショッピングモールが立ち並ぶ郊外型道路の真似をしようとしている昔からの道路。信号待ちをしていたら、横のほうのアキノエノコログサの茂みにすずめが一羽とりついて穂を引き下ろしていた。その様子を見ながら歩き出そうとしたら、足元にエノコログサが小さく生えていた。車が止まって待っていた。
この景色は私が死んだ後も残っていそうだと思いながら、都市高速の大きな高架の下を歩いた。川を見下ろして比較的大きなセンダンの木が生えている。そのセンダンの木までヨモギやエノコログサが立ち並んでいて、その手前に若いセンダンの木が小振りに茂っていた。夕日は見えなくなっていた。
2018年8月5日
道の記
ビルの谷間に山のように育ったヨウシュヤマゴボウを見つけた。剪定の跡があった。
街路樹が並ぶ道路の植え枡に1か所夾竹桃が植えてあるが、そこから少し離れた花壇の下から夾竹桃の若い枝が伸び出ていた。
ひまわりが踏み倒されたと聞いたひまわり畑を訪ねた。倒れたひまわりはすでに撤去されていた。根が抜かれてぼこぼこになっている地面を蟻や小さな黒い虫がいそがしく這っていた。残ったひまわりは夕日にうなだれて種子を育てていた。
取り壊されつつある建物の工事防音幕に、以前からそこにいたキカラスウリが登っていた。白い花のいくつかはちょうど咲いたばかりに見えた。夜間灯がその花を向こうから照らしていた。