2017年2月23日

道の記


たまたま立ち寄った公園は、以前よりずいぶん日当たりが増していた。高所作業車がたぶんヒマラヤスギだと思う大木にとりついていて、上のほうから半分くらい幹がなくなっていた。その脇に幹と枝が積み重ねられていた。クスノキの枝もまとめられていて、青い実が枝から離れて静かにしていた。


昨年度に片側のイチョウ並木が撤去された道路では、今年もう片側のイチョウが同じように撤去された。舗装され直した歩道にはもう植えマスはなく、アスファルトの路面が向こうへと続いている。

このようすが続いていくなら、あと20年30年のうちにこのまちは、木の種名で○○通りと呼ばれる道路以外には街路樹がなく、公園にはあまり大きくならない木が数本と花壇の花だけが植えてある、そんなまちになるだろう。そういう勢いで、まちの木々がなくされ取り替えられている。

その木々が放った酸素をこれまで吸いながらまちの人はみな暮らしてきたはずである。


やはりたまたま通ったある道の、ある植樹帯の端のほうに、若くして伐られたようすの小さな伐り株があった。そこからひこばえが伸びていて、常緑の葉がついている。その株のまわりを、どなたかが施したワイヤーがぐるっと囲っていた。