朝のテレビで、賑わってないまちを訪ねてそのまちの魅力を見つけるみたいなコーナーをちらっと見た。商店街の昔からのお店で、レポーターの若者が陳列品のこども用自転車が色褪せていると言ったきり言葉をなくしたり、置物のビクター犬に向かってウェルカムムードぜんぜん出してないとか言っていた。
ビクター犬の首には、どなたかの手仕事に見える、バラの絵とWelcomeの文字とお店の名前が描かれた小さなボードが掛かっていた。ウェルカムムードがなんとかという話は、そのボードが目に入ってのことだったろう。
自転車もビクター犬も、長い時間そこにい続けてきたのだろう。それだからこそ色褪せてくたびれて見えたのだろう。西日を浴びたり、雨や土埃を浴びたりしながらそこにい続け、だれかを待ち続けているのだったかもしれない。
まちかどのものものは、いったんそこに設置されたときから、作った人設置した人があずかり知らない時間を生き始める。誰かに見られ知られてその人の世界を生き、誰が見なくともそれ自身から広がる1つの世界を抱えている。そこにい続けるものにはその世界を朽ちながら堪えながら生きてきた歴史がある。
こういう語り口とは違う書き方話し方がいつかできるようになりたい。