道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2017年6月25日
2017年6月22日
道の記
公園再整備工事はまだ始まっていないようだった。切り株のまわりにできたポプラのひこばえの森はますます高く深くなっていた。葉の脇に樹液というのかなんというのか水っぽいものが溜まっていた。指に付けて匂いをかぐと、すっと芳香がした。ときおり雲が薄くなって、若葉がきらきら輝いていた。
高い土手の上の道沿いにアレチハナガサが群生している。ちらちらと小さな紫の花がたくさん。そこから少し離れたところに1株ぽつんといる。そちらのほうは人の手近にあたるところで、どうも茎が真ん中で折られたようで、そこから真下に垂れ下がっている。下のほうで花が咲いていた。
去年アレチノギクが出ていた駐車場端の電柱のふもとに今年もアレチノギクが出ていた。今年もすでに綿毛を出していた。
2017年6月21日
道の記(南畑ダム・垂乳根の大銀杏)
(五ケ山・小川内の杉の所へ行く途中に、南畑ダムに沈んだ集落、道十里の碑がある。「垂乳根の大銀杏」という木があったそうで、ウェブなどでその名を見る。いまもダム湖に沈んだままらしい。以前、地元の方からだいたいの場所を教わって行ってみたが、何のよすがもなかった。湖面が静かに広がっていた。)
- 2016年10月15日
…ということを以前書いたのだけれど、以前からダム湖対岸に見えていた枯れ木がこの「垂乳根の大銀杏」らしいことがわかった。水が多い時期には木のふもとが水に浸かっているが、いまダムの水位が下がっていて、以前の地上部全体が見えている。
近くまで行って見た。ふだん通る対岸の道から見ながら想像していたよりも、はるかに高い木だった。木肌は生きているイチョウの木とはぜんぜん違う黒くて平滑な感じだったが、地面から立ち上がる姿がイチョウそのものだった。水位が低い状態が続いていて、銀杏の根元まわりには草が低く生えていた。
(南畑ダムの貯水率がほかのダムとくらべてもずいぶん低いが、上流の五ケ山ダムは試験湛水で水が貯まっていて、それの関係があるのだろうと思っている。ほんとうにいざというときにはどうにかするのだろう)
垂乳根の大銀杏のすぐそばに低い木があった。たぶんふだんだと梢が水面からぎりぎり出ているかどうかぐらいの高さだと思うのだけれど、その梢のあたりが芽吹いていた。
2017年6月17日
道の記(ストリートビュー)
以前に、旅の道で特に何ということのない1本の木が心に残ったという話を書いた覚えがある。ふと思い立って、ストリートビューで探してみた。場所がうろおぼえで少し右往左往したが、数年前の映像だったけれど、見つかった。
去年思い出しながら自分で描いてみた絵とそっくりの景色だった。木は自分の記憶よりもずいぶん大きくなっている感じだった。そこに20年ずっと立っていたのだと思うと、うれしいというかなんといったらいいのか胸が詰まる。
それで、ほかの思い出の場所をいくつかあたってみた。道は覚えているものだった。映像はうれしかったり悲しかったりだった。
豊頃のはるにれも見てみた。自転車をお借りした駅前のお店はなくなっているようだった。角を曲がって堤防の上を走って行くと、左手に休憩所、右手にはるにれが2本見えてきた。私が行ったときはその手前にもう1本あったのだった。その画面を見てこみ上げてきた。
生きているあいだにもう一度見に行きたいと思った。いろいろなことが難しいけれど、やっぱり行きたい。
2017年6月11日
道の記
第1号の札が掛けられた新樹のいちょうは、すっくと立っている。葉が少しずつ増えてきた。私には以前の切り株いちょうのひこばえの小枝がまだ見えるけれど、この歩道を通るそのたびに少しずつ、自分で気づかないくらいずつ見えなくなっていくのだろう。
いったいどちらの木の根かわからないほど離れたところの地面に桜の根が走っていた。ゴム舗装の歩行者レーンにぶつかってそこからはその端に沿って走っていた。
ポプラの切り株は森になっていた。6月下旬から公園整備工事再開との掲示が近くに出ていた。
桜も、切り株はないのに残り根からあちこちたくさんの芽を突き上げていた。いまは雨を浴びていることだろう。
2017年6月5日
道の記(マンション)
こどもたちと関わる仕事をしていた時期がある。たくさんの思い出がある。ある頃、とても懐いてくる兄妹がいた。お母様が難しい病気で繰り返し入院しておられ、そのためではと聞かされていた。癌と伺ったのはだいぶ経ってからだった。
小学校の運動会に呼ばれて行ったとき、運動会が終わって空いたグラウンドでその兄妹がともだちと遊び回っている様子を、遠くからお母様がずっと見つめておられたのを覚えている。
お母様が亡くなったのはそれから少し経った、秋の深まり始める頃だった。お住まいだったマンションにご焼香に伺った。兄妹はしっかりとしていた。お父様から、お母様が以前から話をしていてこどもたちはそれぞれなりに覚悟をしていたようだと伺った。そうではあれ、つらかったことだろう。
ご家族は別のところへ越して行かれた。マンションはお母様のお世話がしやすいよう、病院に通いやすい場所で借りていたとのことだった。思えばずいぶん昔の話になる。こどもたち(よい大人になっていることだろう)、元気だろうか。
そのマンションの取り壊しが始まっていた。あおあおと茂る桜並木の向こうで、白い低い幕に囲まれて、崩され始めた建物がしずかに、おだやかに立っていた。重機が作業を止めて工事の方ともども昼休みをしていた。